J BalvinとTokischaとコラボ曲『Perra』ミュージックビデオ削除、黒人差別の判断基準
J BalvinとTokischaとコラボ曲『Perra (Bitch)』のミュージックビデオが削除され、J Balvinが謝罪した。犬に扮した黒人女性が首輪をつけられ散歩している様子が、黒人や女性差別であるというもの。
J Balvin:コロンビアのスター 物議を醸したPerraビデオについて謝罪
https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-59035581
コロンビアの副大統領兼大臣のMarta Lucía Ramírezは、この歌は「性差別的で、人種差別的で、ミソジニーである」と述べました。
彼女は10月11日に発行された公開書簡に「彼のビデオで、犬の耳をつけさせた女性やアフロ系子孫の人々(特別な憲法上の保護される人口集団)の映像を用いています。その上、歩いているとき、動物か奴隷のように床を這う二人のアフロ系子孫の女性を首の鎖で繋いで連れています。」と、記述しました。
彼女は、音楽における女性の権利を促進と女性に対する暴力抑止のための様々なコミットメントを含む嘆願書に署名するようBalvinと音楽業界に働きかけました。
副大統領がコメントする大事になっているとは知らなかった。36歳の息子が母親に叱られ謝るのが大きなニュースになるあたり、ラテン国らしい。
Tokischaのことを調べるために、もちろんこのミュージックビデオも見ていた。気持ちのよいものではなかったし、これは大丈夫なん?とは思っていた。しかし、HIPHOPやレゲトンのミュージックビデオにありがちな客体化された女性たちを目にした時の嫌な感情とは違うものだった。
Rosalíaとのコラボ曲『Linda』やその他Tokischaのミュージックビデオ作品を見ると、『Perra』についても、J BalvinよりTokischaの色が強いことがわかる。実際、Tokischaのマネージャーで、Tokischaのミュージックビデオを多く手掛けているRaymi Paulusが監督である。J Balvinは、実際にドミニカ共和国を訪問し、Tokischaや彼女が住む世界に、郷に入っては郷に従えといった感じで合わせている。Tokischaの強烈な個性やペースにJ Balvinは押され気味、むしろちょっと引いているようにも見えた。
(J Balvin)「私は新しいアーティストをサポートするのも好きです。今回の場合は、彼女のコミュニティや人々をサポートし、女性をエンパワーメントしているTokischa。」
J Balvin: Colombian star apologises for controversial Perra video - BBC News
Rosaliaは、J Balvinとのコラボ『Con Altura』がきっかけで、知名度を加速させたのは間違いなく、最近では、J BalvinはMaria Becerra(21歳のアルゼンチン人)ともコラボし大ヒットしている。既に物議を醸したこともあり、好き嫌いの分かれるTokischaを、あえてコラボ相手に選ぶくらいなのだから、新しい才能を応援したいというのは嘘ではないだろう。J Balvinがちょっとかわいそうになった。犬や首輪をつけるアイディアも、J Balvinが考えたとは思えないし。それなのに、Tokischaのせいにして言い訳しておらず、優しさを感じる。
Tokischaのマネージャーでビデオ監督のRaymi Paulusは、このビデオは、ドミニカ共和国の貧しいバリオ(居住区)での生活だけではなく、「『perra』という言葉の多くの文脈」の「風刺表現」であり、そして、その人々の社会での見られ方を意味していると付け加えました。
「私たちのクリエイティブプロセスは、人種差別やミソジニーを推し進めることを決して狙っていません。ドミニカ共和国は、人口のほとんどが黒人でアンダーグラウンドシーンでは私たち黒が優勢な国で、映像を撮影した場所であり、映像のインスピレーションの主題となっています。Perraは近所の人々と地元で撮影された映像であり、Perraに有色の人々を起用することは、人々の参加でしかありません。」と述べました。
J Balvin: Colombian star apologises for controversial Perra video - BBC News
「私は彼(J Balvin)への攻撃が理解できません。彼は私の芸術を尊重し、私とコラボし、海外から私の国に来て、私と一緒にこの映像を撮り、私をサポートしました。 彼は私を女性として支え、私の世界に足を踏み入れ、私と分かち合いました。 彼が女性をサポートしていることは明らかなので、なぜ彼をマッチョと呼ばれているのか理解できません。」とTokischaはEmisoraのインタビューで語りました。
歌手は、自分の発言はずっと「露骨でオープンでエロティック」だったとも話し、批判を受ける最初の歌でもありません。
「私は正直に在る状況を表現しているだけです...。『ビッチな』女性は、自由で、女性を力づけ、気にしない女性です。私はとても居心地よく感じていました。クリエイティブなものです。その上、犬は人間の親友です。」と25歳のアーティストは説明しました。
Tokischa habla de la polémica canción ‘Perra’ y defiende a J Balvin
コロンビアとドミニカ共和国では、黒人の状況も異なるのかもしれない。自分たちの規範を当てはめて解釈することは、その地域やコミュニティの文化を理解し尊重しないことになり兼ねない。
但し、TokischaのAltagracia聖母像を前にした写真やNathy Pelusoのトレド教会で撮影したミュージックビデオについては、おふざけや挑発ではなく、きちんとした主題やメッセージがあることは理解するが、信仰や信者に対するリスペクトに欠けているように見え、また物議を醸して議論を巻き起こし謝罪するというやり方も肯定できない。もし日本の神社仏閣で同じことされたら、信仰や文化を踏みにじられた気がして嫌だもの。
RosalíaとTokischaのコラボ曲『Linda』を、Billboardのラテンミュージックアワードで披露したが、一部ミュートされていた。
Rosalía y Tokischa cantan 'Linda' | Premios Billboard de la Música Latina 2021
ライブパフォーマンスで歌詞を変えずに歌うのはOKで、ネットに公開するのはミュート。Nワードは当事者が歌うのはアリで、他はダメという基準も結構難しい。
先日、aespaのGiselleが、バックステージでNワードをリップシンクした様子がネット上に公開されると、炎上し、Giselleは謝罪した。Giselleはインターナショナルスクール出身で英語に堪能だから意味を理解していたはずと批判されたが、リップシンク(口パク)で発話していないし、バックステージで、歌詞を知っているほど好きな歌が流れてきて口を動かしただけ。英語だって、黒人差別のあったアメリカやイギリスだけの言葉ではなく、シンガポールなどアジアでも公用語であり、英語が堪能だからアメリカの差別用語について知っていて当たり前と考えるのは傲慢だと思う。アジア人を見下している。
そもそも白人はNワードを歌うべきなのか?
Should white people ever sing the N-word? - BBC News
白人女性をステージに上げてNワードの入っている歌を歌わせて、ファンだったから歌詞を知っていて歌ったら、Nワードは歌ってはいけないと注意するって、虐めか見せしめにしか思えない。Nワードで呼ばれるリアルな状況が歌詞に落とし込まれていて、それを理解し共感した上で、黒人以外が歌ってはダメなのか。黒人を蔑んでNワード使うことがいけないのじゃないのか。例えば、JAPという歌詞をアメリカ人が歌うことを想像してみたとき、アメリカ人に差別された苦しみを歌う歌なら、アメリカ人は歌うべきではないと思うが、Giselleで問題になったSZA『Love Galore』のような内容は直接差別と関係がなく、そこまで批判され謝罪までする必要があったのか、アジア人だからターゲットになったのではと思ってしまった。