D.A.N. - Fallen Angle × 中山晃子 映像と音楽の対等な関係

2019年に中山晃子氏の作品を見てから、Floating Pointsのミュージックビデオのように作品化されるといいなと、漠然と思っていた。そう望んでいたのは私だけではなかったらしく、誰もが考えていたことだったかもしれないが、理想通りの作品がポンと出てきて不思議な気持ちだ。やはりVJやバンドの演出背景だと、音楽がメインになってしまい、中山氏の作品が欠けてしまうのが、個人的には残念だった。最初から最後まで全画面で見れると没入できる。

最初に中山晃子氏の作品を見たのは2019年

Floating Points - LesAlpx 
墨流しの技法で、映像を逆再生もしているようだ。

音楽的には、LesAlpxよりLast Bloomに近い印象がする。
Floating Points - Last Bloom 

中山氏のこの流体を用いたパフォーマンス/作品は、研究と技術により生み出されている視覚芸術であるが、液体の量、傾き、風量(室内の風や息)をミリやマイクロレベルまでコントロールしているものではなく、パラメーターの数字を細かく設定し調整できるコンピューターグラフィックスとは異なり、人間のコントロールを超えた偶発的な物理現象が作品の中で起きている。
「水に流す」や浄化という言葉もあり、流れる水は清らかなイメージをもたらす。チョロチョロと水が流れる音を聞くと、トイレに行きたくなるという人もいて、寛がせるものでもある。急流下りや笹舟を用水路に流す遊びからウォータースライダーまで、速い水の流れに乗って移動するのは快感である。液体が流れる映像に鑑賞することで、それに近い気持ちよさを味わえる。

映像も音楽が良くなければ台無しになり、逆も然りである。音楽が映像に躍動感を与え、映像が歌詞のない音楽に物語を与える。映像からインスピレーションを受けて作った音楽のように一体化して感じられるのは、編集の技なのだろう。ライブVJでは、その場限りの偶発性が醍醐味ではあるが、音楽のライブ演奏と液体の動きのリズムは一致しない。映像を編集して作品にすることで、音楽の躍動感と流体の流れや破裂といった視覚的な動きを合わせることができる。MUTEKだと音楽のジャンルに偏りがあり、またイベントVJの場合は音楽が主役になりがちだ。本作では、映像と音楽が対等であり、相乗効果を感じられる。

技術的には、数の多い泡が新しかったことと、黒い粒々とトゲトゲ(球体を覆う突起)が気になった。黒い粒々は、水性をはじく油性ではないかと推測しているが、均等に並んでいるのはどうやっているのか。粒々のまま集合体にならず移動するのはどういう仕組みか。ウイルスのようなトゲトゲは、さっぱり想像がつかない。しかも、画面へ向かって、トゲが飛んできさえもする。二枚重ねは編集なのか、物理的に重ねているのか、編集なのか。Floating Pointsの映像は、逆回しや速度変更をしているが音楽に合わせて変えてあるのか。本作の浸透圧でしゅっと吸い込まれるような映像はとても自然で、部分的に速度をいじることはしていないように感じる。色は補正してあるのか。コンピュータグラフィックでいくらでも色は変えられるわけで、絵の具など部材で作り出すところも含めた作品だと思うので、もし色加工や調整をしている場合、するしないの線引きルールに興味がある。

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黒い粒々、水をはじく油性の液体ではと推測するが。f:id:senotic:20210924171918j:plain

ウイルスのようなトゲトゲ(球体を覆う突起)f:id:senotic:20210924172023j:plain

深い赤。絵具を流したままの色なのか、補正はしてあるのか。f:id:senotic:20210924172114j:plain

黒い泡、泡の輪郭だけプリズムのような虹色が見える。性質のことなる白い液体部分の接面に近づくにつれ、泡が小さくなるのはなぜ。f:id:senotic:20210924172238j:plain

黒い粒々を飛び散らせたのは、風か重力(傾斜)か。f:id:senotic:20210924172529j:plain

コロイド溶液のような白濁した液体の美しさと黒の粒々のコントラスト

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