Dorian Electra 『My Agenda』オルタナ右翼を理解する

Dorian Electraがアルバム『My Agenda』について語ったインタビューを、一部シェアしてくれていた。

「なぜ人がそれを信じるのか根源を理解するのは、間違いなく重要だと思っています。特に、そういう考えに同意できない時や嫌いな時には。人の考えや物の見方を変えたいなら、理解や共感の立場から始めねばなりません。たとえ、嫌悪と直面する時でも。」エクスペリメンタルのミュージシャンであるDorian Electraの音楽と映像は、ジェンダーアイデンティティー、性的流動といった自分たちに重要なトピックに関する有害な偏見を流布する憎むべき人々に、真正面から向き合います。作品に共感がないわけではありません。「私たちは、自分の行動が正しいと人々に信じさせるよう仕向ける文化、歴史、経済状況を理解しなければなりません。このレンズでのみ、そういった人々の心を動かし、本当のコミュニケーションを可能にする、もしくは変えることができます。」自らは熱烈なリベラルでありながら、Dorian Electraは、このように認めています。「現時点、ざっくり言うと多くの左翼は、残念ながら、人々をより遠ざけ、もっと右へ押しやるだけの行動をとっています。出口を見つけるのは簡単ではありませんが、それについて話すことが、おそらく適切なスタート地点だと思います。」
もしDorianのセカンドアルバムのタイトルMy Agendaが、一般的には右翼の語句「the gay agenda」を引用し、何かを示唆しているとすれば、それは間違いなく作品の政治性です。「我々は、増々政治化する世界に生きており、政治的二極化が激しく且つ強まる時代にも生きていると思います。」問題になっている二極化は、My Agendaを煽る火種です。前作のLP Flamboyantでは、ジェンダーの概念にしっかり中指を立て、Electraを政治に無関心のように紹介しましたが、My Agendaでは、Dorianは本当に解説に意気込んでいます。「2019年、私はオンラインのインセルカルチャーに取りつかれ、人々がどうやってオルタナ右翼の情報筋に取り込まれていくのかを研究し、今日インターネット時代における『文化戦争』を理解し始めました。」デビューの後それを理解し、「『男らしさ』の概念全体と、今日フェミニズムと『ポリティカルコレクトネス』により、伝統的な男らしさが『非難を浴びている』とどれくらいの人が感じているかに対する私の興味の観点から、My Agendaのテーマへと自然と繋がりました。」
Dorianのセカンドアルバムのタイトルは、そのコンテンツのテーマを意味しており、その1つでは、オルタナ右翼によって使われたり、オルタナ右翼のあるセクターを言い表す一般的な言葉や語句も、厭わず使っています。『Edgelord』と『M'Lady』のように単刀直入なタイトルにより、アルバムの歌詞は完全に皮肉に聞こえますが、Electraの恥じることのないクィアアイデンティティーにより、挑戦的な政治的声明として存在し損ねることは決してありません。事実、教育は、クリエイションをするときに念頭にあることであり、音楽への道の出発点です。「大学を卒業した時、私は教育音楽ビデオを作っており、性別とジェンダーに関するオリジナルのポップソングと音楽ビデオシリーズを作る会社に雇われることで落ち着きました。新しい考えに対して人々の心を開かせる音楽の力に、私は今でも深く感謝しており、それが私を恐らく最も興奮させることです。」
堂々としたクィアの教育者としてのDorianの心構えにより、コミュニティー通して絶大な支持を得ました。

和訳は以上。

DorianとElectraの使い分けは、違和感がある。男らしさをDorianが、女らしさをElectraが担っているのではなく、流動的で分けられないはずだから。he/sheではなく、theyとしているのに。

Gay agendaについて、改めて用語の歴史や使われ方を調べてみたら、前回より少し理解が進んだ。同性愛に反対の保守派が、「ゲイの(権利に関する)議題」に反対したり、自分たちとは違う「ゲイの問題」として扱うときに使うと理解した。Dorian Electraは、他人事ではないから『My Agenda』としたと。

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