日本人はアメリカを許せたのか?ウクライナ人はロシアを許せるようになるのか?

IC3PEAKに超ロングインタビューを行ったこともあるジャーナリストでインタビュアーのユーリ(Дудь, Юрий Александрович)。ペンネームは日本語の「悪人」からとったという日本文学研究家で小説家のボリス アクーニン(Борис Акунин)にインタビューしていた。ウクライナの人々は、将来ロシアを許してくれるだろうか?という問いを考える中で、日本人は原爆投下をしたアメリカ(人)を許せたのかという話が出てきた。

アクーニン ロシアに対して何が起きているのか
Акунин – что происходит с Россией

― (あなたは)日本研究家として、もし(私が)間違っていたら正して下さい。現在、日本はアメリカ合衆国と非常に有効な関係ですよね?実際彼らは同盟国で、あっていますよね?

基本的には、そうです。

― 文化的にもそうですか?日常生活においてもという意味です。日本人はアメリカ人が好きですか?それとも...。

若い人にとっては、アメリカ文化は生活の一部です。イギリス人やフランス人にとってと同じです。彼らの日常文化の一部です。ロシアの若者にとっても同じだと思います。彼らは同じ映画を観て、同じ音楽を聴いて、魅力的な馬鹿をやる人を見て、全てが同じです。

― 80年弱前、アメリカは彼らに核爆弾を投下しました。どうなってそんなに早く関係が回復されたのですか?

トラウマでした。トラウマになりました。大変でした。そのうえ、全世界が広島と長崎の核投下を知っています。犠牲者の数が最も多かったのは、絶対的に残酷で恐ろしい東京の爆撃によるものでした。(1945年3月10日、東京への爆撃。このアメリカ空軍の空襲により、少なくとも8万人の市民が死亡しました。)それが第二次世界大戦です。公平のために言っておくと、第二次世界大戦中の日本もそういうやり方で行動しました。ドイツ人のように恥じてはきませんでした。彼らが中国で行ったこと。

― いつこの経験が過去のものとなりましたか?あなたの推定では、国民はいつ和解しましたか?という意味です。

私が初めて日本へ行ったのは、1977年でした。戦争から30年経っていました。反米感情の痕跡は、ほとんど見られませんでした。かつて私が通りを歩いていると、車が止まって、運転手が「Yankee, go home. (アメリカ人、故郷へ帰れ。)」と叫びました。なぜなら、日本にいる白人はアメリカ人のはずだと思われたからです。そして、すぐに去りました。これが唯一のケースでした。

― いつ(ロシア人と)ウクライナ人との関係が癒えることができる思いますか?一般的な人々がという意味で。

ロシアは違う国にならなければいけません。ロシアは、劇的な変化を経なければなりません。私はそれが起こることを望んでいます。民主主義のロシアは、隣人と問題を起こさないだろうと思います。非常に難しいクリミア問題が残っていますが、それとは別にこの戦争の破壊と犠牲者という非常に難しい問題が加わるでしょう。なぜなら、全て償わなければならないからです。もちろん、何よりもお金で、償わなければならないでしょう。損害を補填しなければなりません。どう考えていましたか?金属の部品に乗ったよそ者が現れて、家や全てを破壊しています。誰が代償すると思いますか?人々が殺されています。どう思いますか?

― ヨーロッパに住んでいる私の友達の何人かから、こういう言葉を聞きました。「20世紀半ば、ヒトラーを支持しないドイツ人がどう感じていたか、私は今理解している。」この例えは、どのくらい正しいでしょうか?私の理解では、彼らは、パスポートだけで(ロシア国籍というだけで)世界の激怒を買っているように、ただ感じているのです。

これは非常に難しい問題です。ここ数日で、ロシアやロシア人という言葉は、全世界で汚れた言葉になりつつあります。害を及ぼすものになりました。感情的なことは公平ではありません。起きていることは残虐行為ですから。お分かりの通り、世界で今この数日間あるような、ロシアのあらゆるものと一般のロシア人に対するこれほどの嫌悪のレベルは前代未聞です。冷戦の間でさえ、ソ連との関係でこれほどではありませんでした。当時は、やはりソ連には友人がいたからです。仲の良い一種の急進派の知識人がそこにいましたから。その意味で、同様にモスクワには友人がいました。現在、ロシアは完全に孤立したままです。プーチンやカディロフ(チェチェン共和国の首長)の友人ドパルデュー(フランス人俳優)でさえ避けています。今や完全に耐えられないのです。フェスから締め出され、美術館は閉ざされ、展示はキャンセルされるでしょう。ロシアの本を買わず、ロシアの映画を見ないでしょう。もちろん、それだけではありません。おそらく、起きてしまったことによる非常に恐ろしい当然の結果。全ロシア人にとって、目を向けるのがとても辛い。

― これについてはどう思いますか?社会的粛清と呼びましょうか、この連帯責任。こういう場合、あなたはどのように感じていますか?公正でしょうか?公正ではないでしょうか?
(一般的に、粛清とは、転覆された政治体制の役人や高官が、新しい政府で要職や政治的役割を持つことを禁じることです。)

私は常に個人的責任を感じています。私はある種個人主義者です。例えば、ロシアでの出来事に反対しています。この体制が崩壊した後、粛清されるでしょう。私は粛清に反対しています。誰もが自分自身の行動に責任を持つべきだと私は思います。そうならないと、世界の幼稚性が終わらないでしょう。人は、自分の行ったことに対して責任を持つべきで、やっていないことに対して責任をもつべきではありません。この件にも同じことが当てはまります。人々が無差別にどこかで記録され、どこかで叱責されることにも反対しています。誰もが、個人がとった態度によって報いを受けるものだと思います。私はわかりませんが、神の信者にとっては、神はロシア人かドイツ人か問わないでしょうし、あなた個人に問うでしょう。自分の人生にどう取り組んできたかです。基本的にどうあるべきだったかです。

― 2008年、ロシアはジョージアと戦争状態にありました。2022年、ロシアとジョージアは、何もかも良好です。(ロシアという)国は嫌っていますが、広く知られていることです。しかし、私の経験上、ジョージア人のロシア人に対する態度に大きな影響を与えませんでした。

人生において覚えがあるのは、ジョージアに行ったとき、たった一度だけあります。2016年でした。私はそこで歓迎されました。しかし、女の子、学生、そこでサポートし同行してくれる大変親切な女の子でしたが、英語でこう言いました。「私はロシア語がわかりますが、英語で話しましょう。ジョージアにこういうことをした国の言葉を、私は話したくありません。」

― 私も似た話があります。私はいつもロシアを祝して乾杯します、というか乾杯していました。女の子が加わるのを拒否しました。

そうなっていくでしょう。

― そうですね。

さらに厳しくなるでしょう。ですが、自信をもってあなたにこう言えます。ロシアはプーチンより強く長く続きます。ロシアは残り、再び平常となるでしょう。

ウクライナ人の反ロシア感情

ウクライナの音楽を聴き始めた2019年、音楽業界のおけるクリミア併合後のウクライナとロシアの関係についての記事を和訳していた。読み返してみたら、ゼレンスキー大統領についても少し触れてあった。

経済的事情もあり、クリミア併合後も両国のアーティストは行き来し、お互いの国の音楽を聴いていた。今回のウクライナ侵攻直前のチャートも見ていたが、チャートにはウクライナ・ロシアのアーティストが入り混じっていた。ウクライナ人アーティストのAlina Pashは、ウクライナ国内での選考を勝ち抜き、今年2022年Eurovision Song Contestのウクライナ代表に選ばれていた。しかしながら、ウクライナ侵攻前だがロシアでコンサートをしていたことが非難され、代表を辞退した。ウクライナ人アーティストは、ロシア人アーティストやファンのロシア人に戦争に反対することで、ロシア国内から戦争を止めるよう促していた。私がフォローしていたロシア人アーティストは全員、戦争がはじまるとSNS上で戦争反対の意思表明をしていた。ある非常に若いロシア人アーティストは、自分がコンサートでウクライナを訪れた際、いかにウクライナ人から温かく迎え入れられたかを語り、こんなことはおかしいと勇気あるコメントをしていた。戦争を止めるために十分動いてくれないロシア人に対する失望は、怒りへと変化しているように感じる。

日本人の反米感情

昨年、私の親戚が、大きな外科手術を行う専門病院に入院していた。入院が長期にわたるため、お互いの手術箇所やその原因について尋ねるのは挨拶のようなもの。私の親戚も、院内で隣り合わせとなった方に、「足はどうされたの?」と聞いたという。その方は、焼夷弾だと答えた。そこまで高齢には見えなかったため、驚いていきさつを尋ねた。その方は、終戦1年前の昭和19年生まれで、赤ちゃんのときに神戸で空襲に遭い、母親におぶられて逃げ惑う中、左太ももに焼夷弾が突き刺さり、左足を失ったという。赤ちゃんの左足を突き抜けた焼夷弾は母親にまで到達し、母親は亡くなったしまった。体に刻まれた歴史と共に80年近い人生を生き、アメリカやアメリカ人に対して、どのような感情を抱いてきたのかは想像もできない。

80年代、テレビのCMには、やたら白人が出てきたように記憶している。アメリカ・英語・白人に、今よりずっと強い憧れを抱いていたように思う。日本や日本人であることの劣等感の裏返しであったかもしれない。昔はYouTubeも安いオンライン英会話もないから、英会話学習に十分な手段がなく苦労し、英語が公用語だったらよかったのにとさえ思っていたこともある。言葉を奪われるということは、その国の言葉で書かれた歴史や文化を理解する人がいなくなることを意味し、その国と文化が失われることに繋がる。当時は、それをまだ理解できていなかった。戦争体験により英語への嫌悪感がぬぐえなかった高齢者を「英語は敵国の言葉だって言うのよ。時代遅れね。」と笑いものにするネタを耳にしたことがあったが、今考えるととんでもないことだ。

韓国人の反日感情

ウクライナ侵攻後、芸術における様々な反戦ウクライナ愛国表現を見ている。強い言葉でロシアに対する敵対感情や戦闘意欲を煽るものもあれば、愛国心と文化を守る決意を歌うものもある。ウクライナ人の芸術レベルの高さを見せつけられた。
そうした中で、思い出し、頭から離れなかったのが韓国のラッパーBewhY『나의 땅(我々の土地)』 。相手をディスり挑発する文化もあるヒップホップという音楽をやりながら、恨みや憎しみを煽ることなく、韓国併合と現在における決意を歌っている。万が一、日本が侵略される側、侵略する側に再び陥ってしまったとして、こういった作品を作れるアーティストがいるだろうか。ちなみに、BewhYは現在兵役中で、国境警備活動を含む海軍で訓練している。

ウクライナ語やウクライナ文化を守るため、ロシア語やロシア音楽の割合が制限する必要性については、今ではよく理解できる。逆に、なぜロシアがウクライナでのロシア語使用や教育に固執するかも、その狙いもわかる。昔は、韓国でなぜそれほど漢字使用を制限し強制的にハングルを使わせるのかわからずにいた。日本語や中国語も少しわかるから便利なのにくらいに考えていた。今思うと、恥ずかしい。

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