文春の記事、TohjiさんとCANTEENの声明を読んだ

文春の記事、TohjiさんとCANTEENの声明を読んだ。批判ではなく、自分の考えを整理したくて書き留めた。

Tohjiさんの声明
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CANTEENの声明
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大前提として、TohjiさんもCANTEENも、損失を被った被害者で、気の毒ではある。対応については、被害者最優先とは思えず、疑問に感じる点もあった。

被害者最優先ではない

対応が遅れた理由に、加害者側の人権を挙げている。基本的な人権や、事件とは関係のない誹謗中傷などから人格は守られるべきは当然である。被害者の意向と同様に加害者側の意思も尊重し、同等に扱い、中立的な立場をとっているように受け取れる。そもそも両者は被害者と加害者である。家庭内という本来は最も安心できる場所であるはずが逃げ場がなく、保護する立場の人からの犯罪で、被害者は未成年である。圧倒的な弱者である。明確に差をつけ、被害者側に立つくらいでなければ、被害者軽視と受け取られてしまう。

保身

配信取り下げは、法律的な義務ではなく、損失を被った上での被害者への倫理的配慮という理解。取り下げる/取り下げない/内容の変更、どんな判断も尊重されなければならない。即取り下げをしたアーティストがいる一方、Tohjiさんは権利侵害の訴訟リスクや「大人5-6人を食べさせていかなければならない」という経済的理由で弁明している。Tohjiさんというブランド、アーティストとしてのアイデンティティやイメージに、下した判断は反映されるのでは。

対応の遅さ

逮捕や起訴の時点ではなく有罪が確定するまで待っていたこと、声明を出すためと言って7月に判決文まで共有させておきながら、文春の記事が出るまで何も対応して来なかった。丁寧に時間をかけているのではなく、自分たちの判断を避けて先送りしていただけと受け取られても仕方ない。被害者最優先と言う主張は無理がある。

歌詞の差し替え

加害者の実名が出てくる歌詞は、別の歌詞に置き換えるという。8月に差し替え前の元の歌詞で歌い、客にも歌わせていたという話もある。歌詞の変更を公にして説明しなければ、歌詞を覚えているファンは元の歌詞で歌うのは当たり前。
Tohjiさんは、歌詞にメッセージを込めないスタイルで、歌詞は音でしかなく、意味なんかないのかもしれない。歌詞を置き換えたところで、どんな気持ちで歌うのだろう、よく歌えるなと思う。リスナーでも、自分や大切な人が性被害を受けた経験があるかもしれない。被害者本人でなくても同じような経験をした人なら、元の歌詞はこうだったよねと思い出し、フラッシュバックしてしまう人もいるのではないだろうか。

未成年の子ども

楽曲への対応について、「被害者が納得してくれた」とあるが、未成年の被害者に判断を負わせているように受け取れる。文春の記事を読む限り、被害者は、大人の事情も理解し、我慢をしてしまう方かもしれないという印象を持った。ファンの人が聴けなくなる、アーティストや会社の経済的影響にも気を使ってしまっている可能性はあるのではないか。被害を受けた直後・逮捕時・裁判中・その後という時間の経過で、被害者のダメージや傷の受け入れ方も変化する。ショックのあまり長く被害の内容を事実として受け止められず、落ち着くにつれ、怒りや許せない気持ちが増大したり、心の傷が深まることもある。心情や判断が変化しても、責められるものではない。被害者に十分耳を傾けた上で、取り下げや歌詞変更の最終判断をしたのはアーティスト側だと明言することが、被害者保護になると思う。

もし有罪になっていなかったら

密室で行われることも多く罪の立証が容易ではない性犯罪、被害者の心理的負担や、警察によっては協力的でなかったり、泣き寝入りや証拠が不十分で不起訴となることも決して少なくない。示談により被害届が取り下げられたり、有罪とならなかった場合は、どういう対応をしていたのだろう。
SNS上でしかないが、Tohjiさんのファンに、被害者をバッシングする人はおらず、曲の配信停止にも理解を示す人が多くみられた。そういうファンを集めることができたのは、Tohjiさんの魅力であり力なのだろう。これは素晴らしいことで、皮肉にも今回のことでTohjiさんの見方が少し変わった。
クラブ業界やヒップホップにおいては、一人の被害者の苦痛よりも、作品やアーティストの価値を言い訳に、作品を楽しみたいというマジョリティーの欲望とお金が優先されてきたと思う。誰かを苦しめる"どうしようもないやつ"の居場所があっていいと思うが、"どうしようもないやつ"に苦しめられ、被害を受けた人たちが安心していられる場所ではなく、排除されてきた。
Derrick Mayの多くのセクシャルハラスメントは有罪には至っていないが、クラブ業界で、被害者とされる女性の告発がある程度尊重され、未来に起きていたかもしれない被害の防止となっている。遅過ぎるが、でも変わりつつある。一方、Kanye WestのアルバムへのMarilyn MansonとDaBabyの参加は、日本ではそんなに議論にもなっていない。

日本のクラブやヒップホップ業界に期待などしていないが、こういう議論や考え方が広く知られると、助けられる人はいるかもしれない。

CANTEEN

間違いなくTohjiさんもCANTEENも被害者であり。久しぶりにポコラヂを聞いたら、CANTEENを応援したい気持ちになった。コンサルではなく、自分でリスクをとって実業を回しておられる。ただ、同質でホモソーシャルな面はずっと気になっていたし、内輪での判断が今回のことに多少なりとも影響しているように思えた。

以下のプライベートスクールのプログラムを知ったとき、13歳から18歳という未成年を対象とした教育に関わることに、関係者の過去の振る舞いなどから漠然とした不安を感じていた。教育を受け、適格性を判断され管理されている公立の教師でさえ、猥褻事件を起こしているのだから、対策の取りようがないようにも思える。たとえ技術だけを教える講座であっても、未成年を対象としたものであれば、性善説ではなく、あらゆる可能性を考え防止対策を取るべきではないかと思った。
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