Dorian Electraに学ぶ ノンバイナリー、シスヘテロ規範、Respectability politics(尊敬の政治)

例えば、日本の田舎の小中学生で自分の性別に違和感を感じたり悩んでいる人がいたら、Dorian Electraの存在は何らかの助けになるかもしれない。Dorian Electraのことを調べるうちに、自然とジェンダーに関して理解も深まった。一旦理屈が理解できてしまえば、シンプルで当たり前のことだった。
以下、翻訳。緑字の[補足]は原文になく追記したもの。

「Dorian Electraに男らしさの意味を教えさせる」
Let Dorian Electra school you on the meaning of masculinity

テキサスのポップスターのデビューアルバム「Flamboyant」は、覇権的な性別の定義を解明するクレヨンの世界です。

Dorian Electraは、主に音楽アーティストとして知られているかもしれませんが、それよりも前に教育者です。 Refinery 29の一連の映像に始まり、ドラッグ、クリトリスバイブレーター、ハイヒールの歴史を解き明かし、Dorian Electraの音楽のアウトプットは最近「Flamboyant」で頂点に達しました。 (「Flamboyantは、)有毒な男らしさからキリスト教文化における同性愛嫌悪と同性愛という対の動向に至るまでの全てを紐解く論文のような曲で、セクシュアリティジェンダーの支配的なパラダイムを削ぎ落とそうとするデビューアルバム。

Dorian Electraの作品が多いように聞こえるのは、それが理由です。 ダンスポップとエレクトロの間を行き交い、Flamboyant(15~16世紀の炎のような装飾を特徴とする建築様式)から外れた各曲は、ボーカルのアクロバット・言葉遊び・誇張されたプロダクションを結合したクレヨンの世界です。 しかしながら、曲作りは実践の一面だけではありません。Dorianが、クラブキッズから「キャリアボーイ」までキャラクターの進化する集合体を(演じて)見せるため、両輪として機能するハイコンセプトなビジュアルを取り込むことでもあります。

Dorianの作品は、積極的に発言するオンラインの視聴者であるファンに支持されています。ファンは、TwitterInstagramでポップスターのあらゆる動きをフォローしコメントします。Dorianの作品は、主にオンラインで消費されており、Dorianは常にある種の前衛的なアバターのようにみえました。 Dorian Electraと電話越しに話し、最近のツアーについて生き生きと話しているのを聞くのは奇妙です。 しかし、Dorian Electraは非常に人間的であるだけでなく、URLのペルソナ(表向きの人格)が示すように、聡明でアイディアに溢れていることがすぐに明らかになります。

他のDIYアーティストと同様に、Dorianは音楽のプラットフォームとしての役割を担っているインターネットに感謝しています。 しかし、特に大都市の外にの人にとって、クィアカルチャーが全ての人にとってアクセスできるようになるのに、インターネットがどのように影響したかも、Dorian ElectraはLGBTI +アーティストとして認識しています。「インターネットを使えば、とても多くのクィアな人々が世界中のさまざまな地域から集まり、彼らが愛するアートやアーティストのコミュニティ感を得ることができます。」とDorianは言います。「それは常に起こり続けていますが、以前はクィアなナイトクラブで起きていて、DJを通してでした。当時は、直接体験する必要がありましたが、インターネットによってクィアアートの広まりが非常に速くなり、モンタナのどこかの子供たちもアクセスできるようになりました。」

「インターネットにより、非常に多くのクィアな人々がコミュニティ感を得ることができます。」

このIRL(In Real Life 現実の生活)からURLスペースへの移り変わりは、クィアカルチャーをより地理的にアクセスしやすくするだけでなく、クィアバーでまだ遊ぶことができない若年層にも開かれています。 Dorianの動画を寝室からストリーミングしている若い世代にとって、ノンバイナリポップスターは、性別の探求のインスピレーションとしての役割を果たします。 「私のファンの多くは、自分のアイデンティティを把握している高校の子供や若い大学生です」とDorianは言います。 「各ショーで会って挨拶した後は必ず、良い意味で、大抵泣きたくなります。ファンが私に近づいてきて、彼らが自分がトランスだと家族にカミングアウトするのに私が勇気づけたとか、私のお陰でテストステロンを始めたと話してくれます。」

[補足]
ノンバイナリー(性別の非二元性)とは、女性男性という二元的な性ではなく、どちらでもないという意味。

ある程度、DorianはLGBTI+の視聴者にアピールします。なぜなら、Dorian Electraはロールモデルとして役割を果たすことができるからです。しかし、Dorian Electraの作品は、クィアネスが美学として、どのように見えるかの知恵でもあります。Dorianの"more is more(多いことは豊かである)"という創造的な物の見方は、クィアな人々を特徴付け批評するのによく用いられる過剰と奇抜さを称えるハイパービジュアルな美と人工的な製品により、シスヘテロ規範の基準で「過剰」とみなされる全ての人々を祝福します。このような音楽はコアに適合せず、広い社会や尊敬の政治に取り込まれることが増えているLGBTI+のコミュニティの一部にさえも受け入れられないLGBTI+の一部を祝福する場所を提供します。「クィアコミュニティ内でも、異性愛規範とシス社会規範を実施しようとする人々がいます。 それは西洋社会の私たち全てに、社会的にとても染みついており、一部の人々はそれを手放すのに苦労しています。」とドリアンは説明します。 「私はそれに逆らおうとし、こう考えます。『ねじ込みます。ただやりたいことするだけ。』」

[補足]
・"less is more"はミニマリズムの考え方で、「少ないことは豊かである」という意味。"more is more"はその対義語。
ヘテロ(hetro)は「異なる」という意味のギリシャ語起源の接頭辞。ヘテロセクシャル異性愛者。
・ホモ(homo)は「同じ、よく似た」という意味のギリシャ語起源の接頭辞。ホモセクシャルは同性愛者。
・トランス(trans)は「反対側」という意味のラテン語の接頭辞。トランスジェンダーとは、生まれ持った身体の性別と、自分の認識している性別が一致していない人や状態。┗(・・)┓┏(・・)┛
・シス(cis)「同じ側」という意味のラテン語の接頭辞。┗(・・)┛┏(・・)┓
・つまりシスヘテロ規範とは、体と心の性別が一致している異性愛者の判断基準や価値観
・respectability politics(尊敬の政治)とは、黒人エリートにより、白人エリートの基準に照らし合わせた、黒人貧困層の「悪い」特性を修正することで「人種を向上させ」、白人と同じように十分市民権を得る価値があると認めさせる方法や考え方。
The Rise of Respectability Politics | Dissent Magazine
・Heteronormativity(異性愛規範)

主にこの文脈が原因で、Dorianは、100 gecs、Slayyyter、Rina Sawayama、Troye Sivan、Hayley Kiyokoなどと一緒に、クィアなポップの流行の一部として識別されました。 LGBT+のアーティストが主流と認識されていることは良いことだとは思いますが、Dorianは長期的視点においてクィアというレッテルについて懐疑的です。 「高校生として物事に関わっていたことは、私のアイデンティティクィアネスの探求において助けになったことを覚えています。今では、明らかにクィアな音楽として見ていて、人々は自分のアイデンティティを世に出すことを恐れず、誇りに思っています。これは非常に重要です。」とDorian Electraは言います。 「ちょうど今、クィアネスがトレンドであるとか、マーケティングツールであると言われていますが、我々が表現において重視するポイントは、クィアアイデンティティをより当たり前にすることです。 ある時点で、今「クィアポップ」を作ると分類されている人は、たまたまクィアで単にポップを作成する人になるでしょう。」

Dorianの作品は、(クィアの)権利を改善することで彼らのコミュニティを助けることをテーマにしていますが、音楽は、Dorian Electraのアイデンティティ、特にFlamboyantの基礎となっている男らしさとの関係を探求する方法でした。「私は男らしいものが大好きです。 騎士、剣での戦い、たくましさ、筋肉質の男たち。」とDorian Electraは説明します。 「この世に存在するものと何ら変わりない、自分がなりたいもの自分が惹かれるものに対する自分の欲求、これに対する批判と同じだけの祝福がFlamboyantです。」

制約のないより楽しいジェンダーへのアプローチが支持されて、男らしさの狭義で覇権的な定義は見捨てられます。アルバムのシングルカット曲の1つ「Man To Man」で、「あなたは柔軟になる自信がありますか?」と問いかけるのに対し、タイトルトラックの「Flamboyant」では、Liberaceのような行き過ぎた男性性を取り戻します。この男らしさに向けたアプローチは、Dorianが学んだ性別の(男性か女性かという)二元的な定義を無視するという方法を反映しています。「長い間、自分の特定の部分を調整する方法を本当にわかりませんでした。 私は化粧が好きですが、多くの面であまり女性らしくありません」とDorian Electraは説明します。 「自分で男らしさを受け入れたとき、私の自己認識と自己表現において物事が一つにまとまりました。それから私は「私は化粧をするだけの男です」や「私はガイライナー(男性のアイライナー)を引いている男です」という感じになることができました。私はこれらの概念にとても安らぎを感じました。」

男らしさが「有毒」とほぼ同義語になった世界では、Flamboyantは単なるクィアなポップではなく、ジェンダーに関する幅広い議論に重要な貢献をしているように感じます。 Dorianの作品は、女性らしさとは反対の男らしさを定義するのをやめ、代わりに両者が自然に混ざり合って共存できる方法を祝福すれば、ジェンダーは誰にとってもはるかに親切で、より優しい経験になるという事実を指し示しています。

[補足]
Dorianは一般的に男性の名前、Electraは一般的に女性の名前で、Dorian Electraはノンバイナリー。Dorian Electraを示す「they」は、「彼ら」ではなくDorian Electraと訳しました。
女性でも男性でもない性自認の人の代名詞は「they」。ウェブスター辞典が登録 | ハフポスト
ひとりの人を表す時に「she(彼女)」でも「he(彼)」でもなく、「they」も用いられることになる。
今年の英語に「単数形のthey」 性多様化で使用急増:朝日新聞デジタル

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