四川省成都のクラブ『.TAG』38歳女性経営者 Ellen Zhangの奮闘

クラブメディアResident Advisorの英語記事を読んだ。

四川省の閉鎖シーンを復活させる成都ナイトクラブ
RA: The Chengdu Nightclub Reviving Sichuan's Shut-Down Scene

海外のクラブ関係者って、なんてたくましいんだろう。そして、それを取材し特集記事にできるクラブメディアやライターさんがいる。日本のクラブの昔話は、いい加減もううんざり。今頑張ってる人、面白いことをしている人の話が読みたいな。

かなりの長文だったので、面白かったところに絞り、全体の1/3ほど訳した。

四川省成都のクラブ『.TAG』

.TAGは、2014年に、中国とオランダのDJグループによって、ビジネスマインドで設立されました。TAGは、急成長中の錦江区の土地開発である、成都Poly Centreの21階、エレベーターの左手にあります。とても小さく、最大収容人数は200人で、2つフロアに分かれています。下の階に吹き抜けのメインフロアが、上に中二階の通路からアクセスできる小さなHidden Barがあり、よりアンビエントでハウシーなセットがかかっており、深く酔った人の会話が聞こえます。クラブの名前は「To Another Galaxy(別の銀河へ)」の略で、クラブが提供する現実逃避と天に届くようなクラブの場所も暗に示します。市内のパーティーピーポーからは、「it(いけてる)」場所と呼ばれていて、成都生まれで創設者の一人である38歳のEllen Zhangが、単独で所有し管理しています。

女性オーナー兼経営者

.TAGでの仕事のやり方は、Ellenの現場主義の特徴を表しています。ほぼ毎晩クラブが開いている場所に彼女はいて、ビジュアルからアーティストのケア、時にはエントランス業務まで、全てやります。彼女はよく最後まで踊っていますが、今回もそうでした。

Henningは言います。「彼女は、純粋な愛で、そうしています。そして、それにより、このクラブがとても特別になっています。クラブを運営することは、政治的な圧力がある中国はもちろんのこと、どこでだって簡単ではありません。このようなクラブを運営するには強い心と情熱が必要です。そして、CoraやAguのようにそれを感じ愛する人がいて、 彼らのエネルギーをその場所に与えます。これらは、クレイジーでワイルドで激しいパーティーにおいて、絶好の要素であり、これはDJとしても感じることができるものです。」

私にとって.TAGが最もエキサイティングなことの1つは、女性がショーを運営していることで、Ellenが言うには、成都では珍しいことではありません。近くのナイトクラブFunky Townも女性が運営しています。 私が学んだように、女性がビジネス・レストラン・ショップの代表者になるのは珍しいことではありません。 中国の全企業の30.9%を女性が所有しており、例えば日本の17.6%と比較すると驚異的な統計値であり、国内の技術系スタートアップ全企業の半分以上は女性が率いています。

中国ローカルの事情

中国はテクノにぴったりにできた場所ではありません。(違法)薬物は、厳密には死刑にできますし(執行されることはめったにありませんが。)音楽は検閲され、インターネットとソーシャルメディアは厳しく規制されています。快楽を求めるレイヴの精神は、ニュースがずっと植え続けるものとは相反するものですが、中国文化にそぐわないものではありません。どの公園や広場でもダンスが行われていて、広場ダンスとしても知られる廣場舞は、中国で1億人以上の人々、特に退職した中年の女性が練習しています。.TAGから家までの10分の移動で、エアロビダンスをしている女性グループや、太極拳や剣を用いた第三の格闘技の練習をしている別の群衆のそばを通り過ぎました。麻雀をしている男性、老夫婦、旗を振って歌っている人々がたくさんいる人民公園を散歩することで、活動・コミュニティ・純粋な楽しみを目にして感じるのは、西洋のメディアが描く冷たく抑圧された中国のイメージとは正反対ということです。

それにもかかわらず、中国においてクラブカルチャーは、特にEllenが若い頃には、広く繁栄しませんでした。彼女は言います。「友達と旅行したとして、シーンがあるのを見て、それが機能しているのを見られたでしょう。でもそれは、中国ではありません。成都でもありません。」警察を巻き込んだほぼひっきりなしの喧嘩・止まない騒音の苦情・経済的損失、クラブPandaの閉鎖は、成都のテクノシーンが直面する全てが具現化されたものでした。しかし、Pandaが作り上げたコミュニティは、次世代への道を切り開きました。「その界隈にいて、それを知り、愛していた非常に多くのDJや人々に会い、そのようなものが機能し得る時代があって、今があるという風に感じました。」

『.TAG』立ち上げ、中国ならではの苦労

そして、.TAGが誕生しました。Ellenとパートナーは、Poly Centreの21階にある2階建ての区画を確保しました。家賃は安く、景色は最高で、場所はHakka BarのあるSOHOビルから目と鼻の先でした。言うまでもなく、.TAGの設立者はクラブを創業した経験はありませんでした(「我々は、DJとパーティーピーポーのグループでした」)が、彼らは成都をわかっていました。彼らはPanda Clubの栄枯盛衰を見ていて、どこで慎重に歩むべきかの知識がありました。

Ellenは言います。「我々は、全てを知っていた訳ではありません。ですが、我々は賢く、クラブという場所とその存在意義についてよく考えました。半年かけ、マーケティングのやり方、相応しい人々を呼び込む方法、良い人たちに来てもらうには、.TAGのスタイルがどんなものか、我々に何ができるかを考えました。もちろんパーティーの場所もですが、我々がやろうとしていることを理解してくれる、クールな人たちを呼び込みたいと思っていました。」

幸い、Ellenのコアな友人グループと既存のシーンの連帯のおかげで、少人数を集めるのは容易でしたが、Hakka Barのスタッフ以外に.TAGについて情報を流すのは簡単ではありませんでした。他の場所では、プロモーターはソーシャルメディアを用いて、新しいパーティーや箱についての大々的に大げさなプロモーションをしますが、「中国の偉大なファイアウォール」として知られるものにより、中国では状況は大きく異なります。

Ellenは言います。「ヨーロッパでは、クラブはラインナップを投稿するか、フライヤーを作るだけです。中国では、ほとんどの人がこの音楽を理解していません。彼らはDJが誰か知りませんし、ただググることもできません。なので、我々が何をしているのかを人々に示すために、多くの情報が必要です。」Ellenのチームは、VPN経由でYouTube動画とMixcloudのDJセットをダウンロードし、アーティストの経歴を中国語に翻訳し、彼らのメッセージをそこへ届けるため、思いつくどんな方法もやりました。彼女は言います。「最初の年は、それほど専門的にやりませんでした。それにもかかわらず、人々を呼び込んでいました。.TAGは、地元の人々にとって、こんなのは今まで見たことがない、非常に特別なクラブでした。確かにバーやクラブといった他のアンダーグラウンドスポットはありましたが、それら全ては少しヒッピーのように見えました。音楽と連動するライトを備えた、こんな電子産業の雰囲気ではありませんでした。

魔法のビル

やがて、他のクラブがPolyに集まり始め、.TAGと元はバー兼クラブだったHere We Goが先行しました。Poly Centreは、昼間は会社員やビジネスマンが居室していましたが、暗くなってからは、1つのフロアから別のフロアにパーティを飛び回る別の群衆が集まりました。Ellenは言います。「成都において、魔法のビルになりました。ヒップホップを聴きたかったら、19階に行きます。ロックンロールを求めているなら10階へ、アフターパーティーを求めるなら16階へ。

Kristenは、この快楽主義全盛期は、頻繁にほぼ大虐殺になったと言います。「ホールには(違法ドラッグの笑気ガス入り)風船を吸い込む人々が並んでいました。エレベーターはいつも満員で、虚無になるまで落ち込まないよう祈るしかありませんでした。喧嘩はあり、安全ではありませんでした。私は、Ellenが、男の襟首を掴んで、引きずり出すのを見たことがあります。」

Poly Centreの人気が高まるにつれ、そのパーティーも人気を博しました。ネガティブな反響なしに、良い時はありません。騒音の苦情と喧嘩が、より頻繁になりました。Ellenは言います。「その場所は、とてもネガティブな方法で、中国において有名になりました。人々は、笑気ガス、ドラッグ(違法薬物)、セクハラを示す動画を、ソーシャルメディアで共有していました。」

取り締まり

一方、北京では、中国政府は流動的でした。 共産党の書記長であり、中国の実質的な大統領である習近平は2013年に就任したが、成都アンダーグラウンドとPoly Centreが変化の振動を感じ始めたのは、就任後4年後のことでした。

2017年の夏、中国の非常に高いレベルの汚染を受け、習近平政府は中央環境保護委員会に全国の水・空気・騒音レベルを調査するように命じました。政府関係者が成都を訪問する時が来たとき、市の地元当局は慌てて対応し、Poly Centreを閉鎖しました。 Ellenは言いました。「なぜ政府関係者が来るのか、我々にはわかりませんでした。以前はこんな風ではありませんでした。しかし、地元当局は、ビルをコントロールするやり方がわからず、心配しました。北京から政府が来て、クラブ・バー・ドラッグ・騒音があったなら、何が起こるかわかりません。もし全てが静かなら、何も問題になりません。そして、Polyにあるその他全ての施設と同様に、いつか再開が許可されるのかどうか、それがいつかも全くわからずに、.TAGは閉鎖されました。

当局を説得

その間、エレンは担当者との話し合いに力を注ぎ、成都当局に.TAGの文化とコミュニティの価値について説得しました。Ellenは言います。「私は何が起きているのかわかりませんでした。なので、私はただ待っていて、地方自治体を私たちのようにしようとしました。彼らは私たちが何をしているのかわからず、ただうるさいことしか知りませんでした。そこで、ネットでUSBを20個買い、本当に素晴らしい音楽をいくつかUSBにコピーしました。その後、役所へ行って全員にUSBを渡しました。私は彼らと話に行き、『いいですか、これが私たちがかけている音楽で、これが私たちのやっていることです。』と言いました。」なんとか、それが実を結びました。2か月後、.TAGの再開が許可されました。

警察との良好な関係を築き維持するEllenの努力は、とても重要であると示され、最終的に.TAGはPolyで許可される最後のクラブになり、その一方で、その他全てのクラブは結局強制的に閉鎖されました。「政府と警察と協力するために最善を尽くします。」とEllenは言いました。 それは主に、麻薬の取り締まりと群衆のコントロールを意味します。 (違法)薬物をやる人が.TAGにいますが、Ellenはいかなる違反も容認しない(ゼロ・トレランス)方針であり、他の人から見て非合法な物質を消費しているのが見つかると、追い出されます。 笑気ガスも、成都でクラブがお金を稼ぐための最も簡単で最も人気のある方法の1つですが、禁止されています。 Ellen は言います。「(違法ドラッグの笑気ガス入り)風船を売らないのは私たちだけです。そして、ドアの外に立っていてそれらを売る人がいないことを確認します。」

再び取り締まり

過去数年間で中国の他の地域ではレイヴが警察に踏み込まれることが一般的になっていますが、成都は、少なくとも今のところは、そのストレスをから守られているようです。例えば、2019年の春と夏に、一連の手入れで、北京・徐州・DJ Eliseが5年間住んでいた上海で、クラブは一掃されました。彼女は私に話します。「そこでの生活は、以前よりもはるかに複雑に見えます。警察はより大きな行動をとっています。」 2019年4月、彼らはアンダーグラウンドのクラブDadaに踏み込み、現場にいた友人やRedditのユーザーによれば、警察官は麻薬検査のために尿サンプルを収集する際、ほとんど男性を、特に検査結果が陽性の場合は即時国外追放を意味する外国人を、対象にしました。 2019年7月、徐州での手入れで逮捕された19人のうち、16人は中国人ではありませんでした。

しかし、.TAGの最初の閉鎖から約1年後、麻薬捜査を回避したにもかかわらず、Ellenは警察から別の電話を受けました。 「彼らは私たちに2週間の閉鎖を科しました。」 しかし彼女は抗議しました。 .TAGは、Bradley ZeroやHoney Soundsystemのクルーを含む、国際的に活躍する豊富なDJのラインナップがあり、プレイをブッキングしていました。「私は彼らに説明しようとしましたが、彼らは単に『クラブを開かないことを強く申し入れます。』とだけ言いました。」彼女はそうしませんでした。

その後の5週間、Ellenと彼女のチームはパーティーを郊外の場所に移動し、すでに予定されていたブッキングを守りました。 Benは言います。「私たちは古いショッピングセンターに、スペースを見つけました。それは大変なストレスでした。会場は.TAGよりもはるかに大きかったのですが、私たちは本当に一生懸命働き、最終的には報われました。」 そして、ちょうど1か月余り経過し、.TAGの再開が許可されました。 エレンは認めます。 「理由はわかりません。我々にも(違法)薬物と騒音の問題はあると思うので、我々はとても幸運でした。ですが、私たちは協力するために最善を尽くします。」

以上、和訳はここまで。

.TAGは3月末から、地元のDJがプレイして営業再開している。

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