2016年10月 ポコラヂ tofubeats 『大都会と砂丘』振り返り

ファイルを整理していたら、ポコラヂのtofubeatsさんゲスト回、『大都会と砂丘』に関して話したときの書き起こしがあったので、供養。レトリカのウェブサイトにも載ってるけど、(一番面白いところを)だいぶ端折られたり意訳されているので。「tofubeats」(括弧付きのtofubeats)と「かっこつけたtofubeats」の聞き分けなどは、関西人でないと難しいよなと。申し訳ないけど、日本のアーティストのインタビューってつまらなく感じることがほとんどなんだけど、やっぱりtofubeatsさんは深く考えているし、話が上手くて面白かった。もっと話して、英訳されてほしい。

お客さんの曲の解釈

tofubeat:音楽を作るっていうのは、それとつきあっていくというのにすげぇ近いというか。自分自身のそういうとことも付き合っていかなきゃみたいな。正にさっきの『道』の話は、作ったときはやっぱすごい高ぶってるんですけど、やっぱ人のものになってくんで、自分の思い入れを捨てないと、違うものがこのように、まぁあのおんなじかもしんないすけど、乗っかってきたときに、自分の中で受け止めきれない。わかりやすい例が、僕の『朝が来るまで終わることのないダンスを』って曲があって、あれは(tomad)社長に言われて作った曲なんすけど。社長から「アルバムに最後にいい感じの曲入れたいから作って。」って言われて。「最後に入れるからいい曲で。」みたいなこと言われて、頑張って作った曲なんすけど。後に風営法のデモ曲みたいになっちゃって。それでデモで流れると、今度はみんながtofubeats風営法に反対してるんだって、やっぱ思っちゃって。正にどんどんみんなの中でエモがでかくなって、「ありがとうございます。」みたいな。「反対してくれて、ありがとうございます。」みたいな感じでデモでかかり、選挙とかなんかでも使われ、でシンポジウムに呼ばれしまして。全部僕は断ったんですけど。違うからみたいな。そん時はホンマにへこんで。俺の思ってることと、こんなにも違うのか。なんすけど、メジャーとかなって、もっと大きいとこで曲出ると、そんなこと往々にしてあって、時折、手紙とか頂いたりしたときに、「ぜんっっっぜん、この曲ちゃうな。」みたいな感想来るみたいな。なんかこうあるんですよ。逆にそれを面白がっていくのがポップスみたいなのもあるし、あえてその隙間を作ってあげたりとかするっていうのが大事なことなんだなっていうのが、ちょっとずつわかってきて、クラブでやるときもちょっとそういう気持ちみたいなものを、逆に大事にするようになったみたいな。だから『道』とかをかけて、みんながどうなるのかの方が、今は興味があるみたいな。自分のエモさは作ったときに過ぎてるんで、それ以上の気持ちに自分がなるのは無理っていう。プレイしてるときは、僕の場合は2回目以降なんすよ。岡田さんとかは、okadadaさんとかは、また別のDJとしての角度の上げ方かと思うんですけど、僕は作る側の人間なんで。そもそもeditを作るってことも、その『道』って曲を愛好したいけど、原曲だと僕の場合はエモ味が上がり過ぎるから薄めたいっていうのがあって、スクリューとかの僕は作るのが好きっていうのがあるんで。だから、そういうのとつきあっていくっていうことが、音楽を作ることと結構同じみたいな感じはありますね。

松本:なんか誤読された方がいい?って言うか、それは諦めて、逆に利用するっていうか楽しむくらいの感じだってことですか?

tofubeats:そうですね。今言ってることとかも、もう言葉になっちゃってるから無理みたいなのもあるじゃないですか。よく言いますけどね、そういう話で。やっぱ音楽のいいとこは、100%伝わることはないし、伝わっちゃったら困るじゃないですか。やっぱ、ついうっかり、そういうなんか、伝わっちゃったら嫌(や)じゃないですか、サトラレみたいな。100%わかられたら、嫌(や)じゃないすか。そういうのがいいみたいな。「これでどう思いますか?」みたいなのが、面白いみたいな。「僕は山をイメージしてこの生け花を作ったんですが。」みたいな、「川と思った。」でもまぁいいよねみたいな。そういのが、芸術やってて面白いとこなんで。パッと出た例が近しい例(seihoさんの生け花)でしたけど。

曲に対する想い入れ

tofubeats:あと曲に対して、これこそ今のてぃーやまさんくらいに熱を込めてやっちゃうと、その、みんなからの想いが違い過ぎて死んじゃうすよ。ホントに。水星とかでえらい目に何回もあってますから。やっぱ、曲に想い入れを込めるっていうのは、ある意味危険な行為っていうのが、僕は最近、とっても思うんで。だから逆に、お客さんにわかんないようにしないといけない。自分が歌っていけないとか。

お客さんを馬鹿にしない

tofubeats:誠実っていうのは、お客さんを馬鹿にしないっていうのがあるんで。それこそ『砂丘』っていうののやり方は、お客さんを馬鹿にしないやり方じゃないですか。っていう風に、僕は思ったんで。今回の『砂丘と大都会』のちょっと削いだやり方。最終的に社長は、ラインナップも出して、地図も作ってなんやもうやりましたけど、そこまで丁寧にしなくても、お客さん自身が能動的にある程度、行きたいイベントについてやってくれるという信用みたいな。例えば「広告を100回打たないとどうせお客さんは来てくれないだろう。」って思うことは、自分のお客さんに対して、ちょっと失礼なことみたいな風に、僕は思うんで。失礼なことではないですけど、優し過ぎるみたいな。

てぃーやま:いやまぁ、失礼ですよね。普通に。

tofubeats:いやっ、これは"優し過ぎる"にしておきましょう。

てぃーやま:わかりました。

tofubeats:"優し過ぎる"ときがあるんで。そこをこう。でも日本は、"優し過ぎる"ことが是とされてる国だから、難しいみたいな。JPOPとかもそうで、全部言ってあげた方がいいけどみたいな。例えば、『POSITIVE』の歌詞とかも、サビが「ご飯奢って下さい。」みたいな、ちょっとそういう歌詞だったんですけど、「笑顔」に変えて下さいみたいな。そういうこう、やっぱ"優し過ぎる"ぐらいじゃないと、ちょっと難しいみたいな。

関西人はかっこつけるのが無理

てぃーやま:それは優しさディレクションなのかなぁ。僕は、ほら、いつも通りの感じでいきますけど、全部自分の言葉であれしようとするんで。それはさっき言った、括弧付きのtofubeatsじゃないけど、メジャーのアーティストとしての役割があって、それをこう演じさせようとする圧とかに見えたりもしなくはないなぁ。

tofubeats:あぁ、なるほど。そこが結構、なんか、あれなんすよね。嫌々やってるみたいになっちゃって。かっこつけてるみたいな。でもそれは難しい。またこれは、てぃーやまさんは関東の人だからなんですけど、かっこつけるっていう行為が、我々本質的にめっちゃ無理っていうのがあって。例えばDJをやってて、最初TeddyLoidさんっていう先輩がいて、彼とかはDJブースの真ん中でこう手をパーンて上に天を指して、両手をバーンって広げたりできるすよ。でもかっこいいんすよ。でも、僕とか岡田さんがそれをやんのは、かなり難しいみたいな。なんか、できるけど。

yokoyama:吉本新喜劇みたいな。

tofubeats:そういうことをやってる自分みたいな視点が、どうしても入っちゃうみたいな。「やってますけどねぇ。(関西弁)」みたいな。だから結局メジャーでいることは、例えばその、括弧付きのtofubeatsを「やらしてもうてますけども。」っていう楽しさはあるっていう。でも砂丘とかやってる方が、恥ずかしいっていうのはある。

松本:素だっていう体(てい)になってるからってこと?

tofubeats:っていう体(てい)なんですけど、なんか。

yokoyama:本当に好きなのをやってるってみんな(思ってる)。

tofubeats:だから『砂丘』の日、俺はめっちゃ笑ってたっていう。

I Believe In You』

tofubeat:個人的にはやっぱ想い入れのある曲で言うと『I Believe In You』の方が『道』の100倍くらい想い入れあるんで。あれにやっぱ行きたいみたいな。

yokoyama:そっか。『I Believe In You』は。

tofubeat:あの曲は一番最初にプレイしたときに、某ロックフェスで、信じられへんくらいスベったんですよ。初下ろしで。

てぃーやま:笛ですか?

tofubeat:笛を吹く前ですね。信じられへんくらいスベって、この曲を1年かけて、ロックフェスで盛り上がれるようにしようと思って、笛を吹き出したんすよ。


tofubeat:『I Believe In You』とか正に、ここにいる人は知らないと思いますけど、あの曲は藤井美菜がやっぱファン過ぎて、慶応大卒の。藤井美菜さんがちょっと僕がファン過ぎて、演劇を観に行った日にホテル モントレー横浜で仕上げたという、思い出の1曲なんです。

yokoyama:あのさぁ、ちょっと待って。さっきから言ってること全然違うくない?

tofubeat:えっ、でも、それこそこういうことは、皆さんにはやっぱ伝わらへんみたいな。このエモさと、みんなのエモさは全然別っていう。別に、あの曲が盛り上がらへんかって、「美菜ーーーっ」って言ったりする訳じゃないですけど。単純に仕上げる日に、画竜点睛じゃないですけど、ちょっと縁起っぽい、自分の中での区切りがあると曲のこと忘れないから、演劇観に行ったその日にマスタリングしてみたみたいな。のがあったりとか。

『私がオバさんになっても』

yokoyama:まぁ、ポップスターは入れ物だから。

tofubeat:そうなんすよ。ポップスターは、ホンマ入れ物なんで。だから、ようわからんくらいがいい。

yokoyama:そう、ようわからんくらいがいい。

tofubeat:『私がオバさんになっても』って言いますけど、オバさんになりたいんか、なりたくないんか、ようわからんみたいな。

yokoyama:確かに、せやね。

tofubeat:で、あれを聴いてわかったんすよ。「あー、これがいいのか。」みたいな。

yokoyama:ほぉ。

tofubeat:オバさんになりたいんか、なりたくないんか、わからへんから、この曲はええんや。

yokoyama:オバさんでも聴けるし、オバさんじゃない人でも聴けるし。

tofubeat:そうなんすよ。全ての人に間口が広がってる。その時に、「森高さんは天才や。」と思って、オファーしたっていう。

yokoyama:これも嘘かもしれないしね。

tofubeat:これに関しては、マジなんすよ。これでわかったんすよ。水星でいろんなカバーとかが出て、すごい悩んで。そういう時に、『私がオバさんになっても』聴いて、「あぁ、作詞ってこういうことか。なるほどなー。」みたいになって。

京の都から下りてきた

tofubeat:僕は、標準語しゃべりますもん。全然普通に。

yokoyama:マジかよ。そこらへんがポップスターよな。

tofubeat:これは原稿のお仕事されているからわかると思いますけど、1年目にめちゃめちゃ痛感したんすけど、インタビューの原稿、テープ起こしが関西弁になると、めちゃめちゃ感じ悪いんすよ。

yokoyama:ハハハハハ。

tofubeat:テープ起こし関西弁でされたとき、めっちゃびっくりするほど感じ悪いんですよ。

yokoyama:しかもさぁ、それを関東の人にされると。

tofubeat:ニュアンスがね。

yokoyama:二重三重にさぁ。難しいよね。

tofubeat:だから標準語しゃべるように、自分で意識してするようになったんですよ。

yokoyama:自分のこと文字で見る機会が多くなって。

tofubeat:なんて感じが悪いんやと思って。

yokoyama:感じ悪い?

tofubeat:何て言ったらいいんすかね。「ちゃうんですよ。」とか「違うんですよ。」って書いてくれたらいいのに、「ちゃうんですよ。」って書かれたら、何かこいつふざけてんのかみたいになるじゃないすか。ひらがなになっちゃうし。

yokoyama:関西弁で、こう、関東の人をいさめてる感じになっちゃうってことよね。

tofubeat:そうなんすよ。

yokoyama:「わかってへんなぁ、関東の人は。」みたいなニュアンスになっちゃうってことやね。

tofubeat:「こっちは上方から下りて来とるんやさかいに。」みたいな感じに。ねっ。そういう関西人は、それはそれで嫌なんで。

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