ファンの愛って何だ ファンカルチャー

このブログも炎上したことがある。以下のi-Dの記事も他人事ではない。

まずi-Dの記事内の「アリアナ・グランデジャスティン・ビーバーが、今年のコーチェラで披露したコラボパフォーマンスを小バカにしたライターのモーガン・スチュアートを非難した。」、この書き方自体忖度していてフェアではないと思う。Coachella2019の2週目、Ariana GrandeのステージにJustin Bieberが飛び入り参加、出演は直前に決めたそうだ。ArianaはCoachella最年少ヘッドライナーで、ギャラは9億円とも言われる。秒刻みの進行で、歌もダンスも完璧だった。Arianaだけではなく、ダンサーや音響・配信が一体となってリハーサルを重ねたことだろう。いくら絶大な人気を誇るスターで、同じScooter Brownのマネジメントの仲とは言え、直前に飛び入りというのはどうなのかと思った。Arianaの表情を見ても淡々としていて心底復帰を喜んでる風でもなかったし、Justinに歌わせている間はさっさとメインステージに帰っていた。Justinは随分とカジュアルでとてもパフォーマンスと言えるようなものではなく、配信を見ていて口パクなことに気が付いていた。言い方はさておき、Morgan Stewartは口パクを指摘したのだ。それに対しJustinは「コーラスのとこは歌ってたで。」と反論(子供か)、ArianaもJustinをフォローした。アメリカの音楽評論は率直で厳しい印象をもっていたので、Justinの口パクが批判されなかったことは意外だった。

みんなが大好きな某アーティストが雑貨店での目撃情報をツイートされたことに憤り、そのことをツイートしたことがあった。ファンはすぐに目撃情報をツイートしてしまった人を特定し攻撃した。攻撃された人はツイッターから仕事の情報を消した。過剰に攻撃を続けるファンも現れ、アーティストがたしなめることに。別に卑猥なもの買ってたわけでもなく彼女が同伴とか書いてないし、私だって目撃したら嬉しくなってツイートしてしまうかも。直接本人に消して下さいと依頼し、今後のためにフォロワーに対して「目撃情報をつぶやくのは迷惑なのでやめてください。」とツイートするだけでよかったのでは。自分のファンにに愚痴る人は、本当に自分の影響力をわかっていないのかな。多少なりとも自分にとって状況が良くなることを期待していないか。

暴走するファンをユーモアで制す石野卓球氏はさすがだった。

あるウェブメディアが小袋成彬氏を「カルチャー顔」とカテゴライズしご本人が激怒した件、あそこまで制裁されることだったのだろうか。

人は生まれてくるときに自分の顔を選べない。どんな顔や容姿であっても個として尊重されるべき。問題の記事は悪口でも批判でもなく、知識や認識不足だったと思う。記事の内容について小袋成彬氏は批判する権利がある。でも「うんこをよく噛んで食って、平成元年からやり直して」というのは人を傷つける言葉でいじめだ。人気アーティストとメディアの編集長(会社員)、力関係は明らかで強い者から弱いものに発せられた言葉。先の記事の中で小袋氏は炎上を止めに来る人はいなかったように言っているけれど、冷静になるように彼に近い人が冗談を交えて声をかけているし、止めようとした人には「道端のうんこだ!」と返信している。「仕掛けてきたプロレスやってんの。ユーモアのないおっさんは黙ってて!」とも返していて、つまりお互い話し合って分かり合うことがゴールではなく、勝ち負け。実際相手を打ち負かし、海外まで来させて謝罪させた。

小袋氏を褒め称え持ち上げる記事、「他者を敬う」という表現が何か所も出てくる。「他者を敬う」べきなのは小袋氏なのでは。「口が悪い」というのは言葉を知らず本心とは異なる言葉で表現してしまうことであって、小袋氏が「うんこ」の意味を知らずに使っているとは思えない。ましてや小袋氏は作詞家でもあり、言葉を扱うプロのアーティスト。カルチャー顔がレイシズムだと言いながら、記事ではなく「居酒屋談義にとどめておくべきだった」と言っている。ロッカールームトークでの女性蔑視発言も許容されるということ?だったらそれは差別がダメなのではなく、人前では差別発言をしてはいけないということになってしまう。
横山純さんも多くの人に支持されていて以前より大きな影響力をお持ち、扇動の仕方もよくわかってらっしゃる。その影響力で「メディアをやめろ」とまで言ってよかったのだろうか。FNMNLだってメディアと言ってるけれど、海外の英語の記事を訳しただけで裏をとってないから間違っていたことが何回かあり(エイプリルフールのネタを記事にしてしまったり)、Joey Bada$$がファンを危険な道路を走らせて笑いものにしていたのを「暖かい交流」として記事にしている(ファンが喜んでるかは関係ない。)。

あるアーティストがベロベロに酔ってライブをしたと書いたとき、私のブログは炎上した。ブログの内容ではなく推測された私の性別や年齢で誹謗中傷された。誹謗中傷した人と繋がりのある男性が、実は自分がブログを書いていると嘘をついて名乗り出てくれたことで収まった。内容ではなく、誰が書いているかで炎上したりしなかったりするということだ。その後に行ったライブで、私を誹謗中傷した内の一人と目があった。ライブの感動でキラキラと潤んだ目で私を見た。その人が私を攻撃したのは、好きな人をいじめる悪いやつをやっつける正義だったんだと思う。

事象でなく好きか嫌いかでどちらにつくか決めるなら、好感度が高くて愛される人が最強になる。「女子高生最強」「かわいいは正義」。詐欺や反社会組織に資金が流れる犯罪をしても人気者なら寛容であるべきとファンが守ってくれる。逆に好きなアーティストの機嫌を損ねる一般人は排除される。さすがにネットの炎上のように戦争を始めたりしないと信じたいけれど、政治家だって好感度で選ばれてしまうんだからあまり楽観的でもいられない。

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