オープン・スペース 2019 別の見方で(Alternative Views)@NTTICC

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梅田宏明 《kinesis #3 - dissolving field》
最も良かった2作品の内の1つ。4メートル四方ほどの大きなキューブ内で鑑賞する展示。向かい合う壁面2面とフロアに白い粒子群が映し出されている。フロアの中を動き回ると、波や渦のように粒子が動き出す。流体の動きをシミュレーションしたような自然な動き。足元を流れる粒子が自分より速く前に流れると、自分の歩みが遅くなったような錯覚。(並走する隣の電車が自分が乗っている電車より速いと、後ろに進んでいるように錯覚する、あれです。)池に浮かぶ花びら、立ち昇る線香の煙、ビルから見た人の動き、そういった予測できない動きを眺めるのが好きなので、長いこと遊んでしまった。確認できたセンサーは、それぞれの壁の下に1つずつ。小さなセンサー2つで、この大きな空間の人の場所と動きがとれるものだ。作品に夢中になってプロジェクターの位置を確認し忘れたが、歪みがなく、フロアの映像も自分の影が小さく、それが没入感を高めていたと思う。フロアの中心と端で自分の影の大きさが変わるか、確認してみればよかった。f:id:senotic:20190523000517j:plain

後藤映則 《ENERGY #01》
最も良かった作品2つ目。パラパラ漫画の3次元版。パラパラ漫画は平面上での動きだけで見れる角度が決まっているが、メッシュ状の造形物にすることで裏からも見ることができ、平面でなく上下左右立体的に空間を動かせる。
撮影禁止だったので、参考として過去の作品を。今回の作品は2作品ある。1作品目、ドーナツ状の造形物に光を当てる点は、上の過去作品と同じ。ダンスではなく確か数字、メッシュも白ではなく黒、そして光がストロボ。円盤の回転速度とストロボを、かなりの精度で合わせないといけないのでは。光の当て方もいくつかパターンがあり、円盤上に踊るように現れる数字の動きが面白く、ずっと見ていられる。今の時代、グラフィック上では簡単にできてしまうことを、あえて3Dの造形物を作り、光を当てるという物理的な方法で浮かび上がらせている。
2作品目。こちらはドーナツ状ではなく、金太郎飴。ただし、どこを切っても同じではなく違う絵。過去作品と同じダンサーの踊りを、3Dの造形物に落としている。ストロボではなく、プロジェクターから細い線状の光で、スキャンするように端から照らすと、人が踊る映像が浮かぶ。その金太郎飴は、中心から放射状に空間に浮かんでいる。光のパターンも単に1本の線でスキャンするのではなく、スキャンの線の数を複数にしたり、線ごとに速度を変えり、左右ではなく上下にスキャンしたり、パターンが多い。それにより動きが出て、踊っている感が増す。空間に多数の踊る人が点在する。金太郎飴の最後は細くなっており、ダンサーの映像も小さくなって消える。


参考)仕組みの説明。今回の作品はメッシュが気にならず、映像ももっとはっきり見えていた。


2作品ともテクノロジーやデザインというより、わざわざ造形物に落とし込む点、造形や光の美しさが印象的で、唯一アートを感じさせる作品だった。
暗いからこそ見える映像があり、暗いほどに光は美しく感じられると強く思っているので、クラブのVJや演出の方も同じ感覚の人が増えると嬉しいな。

細井美裕 《Lenna》
無響室、立体音響22.2チャンネルサラウンド作品ということで体験せねばと。今回から体験型の2作品は事前にネットで予約可能、体験前の無響室内の撮影も可に。evalaのSee by your earsは、前後上下体を囲む四方それぞれスピーカーがあったが、この作品は体のやや前方に2つだけ。つまり背後からは音は出ていないのだが、後頭部で人が歌っているように聴こえる。すごい再現性だった。ただ、22.2チャンネルのそれぞれから単に音が出ているだけで、22.2チャンネルをまだまだ活かしきれていないと思う。チャンネル間の連続性や音の干渉が再現していないからでは。evala作品を体験したときは、背後に川が流れ、穀物の袋が切り裂かれ中身が飛び出し、頭上の鐘が鳴りながら回転し、体の周りの深く積もった雪を誰か踏みしめる、音だけでそんな情景がありありと目に浮かんだ。録音やデザインも違うのだろうし、立体音響を活かしきる素晴らしい作品だったのだなと改めて思った。f:id:senotic:20190523001130j:plain

三上晴子 《Eye-Tracking Informatics》
こちらも事前にネットで予約可能。自分の視線を追う眼鏡状の機器を装着し、椅子に座った状態で大型スクリーンの映像と音楽を鑑賞する作品。スクリーンには自分がどこを見ているか表す+と、前の鑑賞者の視線の動きが表示される。金属製の椅子は、音楽に合わせてときどき振動する。ヘッドフォンではないが、スピーカーが耳元にあるからなのか、隣の作品は轟音を立てるのだか気にならなかった。頭はキャリブレーション時の位置を保つ必要があるので動かせない。眼球の動きを読み取り、どこを見ているかの視線とっているのだろうか、自分の目線が可視化されるのは初めての体験なので面白かった。私は前の鑑賞者の視線の動きにあまり興味がなく、何か映像も出てくるのかなと期待してスクリーンの中央を見つめていたので、私の視線はあまり動いていなかった。うっすらと背景にでも人の顔や食べ物なんかが映ると、前の人はどこをよく見ていたのかが見れて面白かったかも。こういうアカデミックな映像作品は、どうして同じような音楽になってしまうんだろう。音楽はevala氏で、重厚感がありかっこよくはあったのだが。2017年の展示のAura SatzのBetween the Bullet and the Hole(銃弾と弾痕のあいだ)の音楽は、scanner (Robin Rimbaud)が担当していて完全にテクノだったが、作品を邪魔するどころか音があってこその作品だった。

真鍋大度+坂本洋一+石井達哉 《Light Field Theater》
ヘッドフォンで音楽を聴きながら、眼鏡無しで見れる立体映像を鑑賞する作品。ややぼやっとした像だが動く立体像が見える。背伸びをしてみるとよりはっきりした像が見えた。日本人の男性の平均身長に最適化してあるのかもしれない。かがんで下から見てみたら立体映像は見えなかった。小さいお子さんはだっこしてあげないと見えないね。

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下からは見えなかったのは、ライトフィールドディスプレイが小さいから?大きいか局面だと、立体映像が見える範囲は広がるのだろうか。ヘッドフォンの音量は大き目だったが、相変わらず隣の作品の音が大きく、ノイズキャンセリングはついていないヘッドフォンなので聞こえていた。音楽はなくてもよかったかな。《Juggler》、設置が難しく場所も限られるので、ずっとICCにあるのでは。

岡ともみ,渡邊淳司 《10円の移動日記》
私が大ファンの岡ともみ氏の新作。公衆電話が鳴り、受話器を上げて耳にあてると岡さんの話が聞ける作品。NTT ICCから距離の離れた複数の公衆電話から岡さんが電話をかけてくる想定で、10円分の時間だけ話を聞くことができる。遠くからだとすぐに切れてしまい、近距離だと長く話せる。電話の受話器を上げるということをしたことがない、公衆電話を触ったことがない、(電池切れ以外に)通話が途中で切れるという経験をしたことがない、遠くにかけると電話代が高くなるなんて知らない、そのような若年層も実際に体験してみれるので良いと思う。何回か体験して最長バージョンが聞けた。一発録り的な自然な語り口がさすが。岡ともみ氏の光や反射を自由に操った作品は素晴らしく、科学的な理論付けはされていなくとも、やっていることは視覚効果を存分に駆使しているはずなので、光や映像を用いた作品も今後展示されると嬉しい。

触れてつながるラボ
触覚デザインの展示。いくつかある中で、心音を手のひらに乗せられる小さなデバイスの振動に変える展示を体験。心音ではなく、隣の大きな音が出ている展示の音か振動をひろってしまうようで、うまくできなかった。期間が短かった触覚デザインの展示は良かったので、この種の展示が続くことは嬉しい。そろそろデジタルで形や触感を変化させられる装置の展示などにも期待。

Shinseungback Kimyonghun 《Nonfacial Portrait》
一旦完成した肖像画を、人工知能が顔認識できないが人には顔と認識できるように手を加えた作品。わかりやすい。顔認識のロジックを知ってパターンを分けたのか、どうやって手の加え方をばらけさせたのか気になる。f:id:senotic:20190523001634j:plain

Gregory Barsamian(グレゴリー・バーサミアン)の《Juggler》、《Find Out Your Own Face!(自分の顔を探せ!)》、《マシュマロモニター》は、今年も引き続き展示。

昨年の展示については吉開菜央の作品黒塗りの件があった。指が折れるシーンの必要性が理解できなかったし、社会的な悪と戦うのにハアハア息を切らしながら体当たりして飛ばされてという表現、土で汚れた顔のメイクがコントみたいだったりと、擁護したいほど作品に価値を感じられなかった。吉開菜央氏のブログ、その時点での社会問題や読んでいた本、生い立ち等について脈絡なく書かれているが、そもそも表現したいものがしっかりと定まってもおらず、深く練られたものでもなかったように受け取った。作品を鑑賞し感じた通りだった。(身体や映像表現者が文章表現に長けている必要はないと思うが、それを考慮しても。)ただ、2017年は、台湾の原発や放射性廃棄物貯蔵施設の映像作品である袁廣鳴の能量的風景(エネルギーの風景)、1940年代当時女性が技術や理系研究の仕事をしていたことを題材にしたAura SatzのBetween the Bullet and the Hole(銃弾と弾痕のあいだ)などの作品がメインにあったことを考えると、社会的な意味を含まない技術的な作品で占められるようになった印象はぬぐえない。NTTの施設だからこその展示にシフトしているのなら、仕方ないことかと思う。海外からの来場者も多いので、日本のデジタル技術・デザイン・アートの発信の場所になれば。

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