岡ともみ

東京藝術大学先端芸術表現科を首席で卒業される岡ともみ氏、生涯美術を楽しみ続けていく中で、岡氏の作品に出会えたことはとても大きい。

 レアンドロ・エルリッヒ展も話題になっているが、体験型であることと、割合シンプルな手法でリアルとフェイクの境界をあいまいにするという共通点がある。多くて2台のプロジェクターと数枚のアクリル板、日常的な映像と音楽、それだけの材料で、高価なVR顔負けの仮想現実感、没入感のある空間を作り上げてしまう。プロジェクターとアクリル板、それぞれの複雑な角度や反射の計算は、シミュレーションソフトでも使っているのかと思いきや、そうではないらしい。デザイン、プログラミング、電気系統、資材調達、フィールドレコーディング、時に運搬まで、何でもこなす変態、岡氏の4作品を振り返る。

シナプスのついた嘘
最初に出会った作品は、Rêver 2074で展示されていたこの作品。岡氏の作品は、アートの中に入って鑑賞することができることが特徴。ガラス部分がアクリル板になった電話ボックスの中から鑑賞する。壁に映し出された映像と、アクリル板に映る映像が重なって見える。天井にはスピーカーと切れかけた蛍光灯を模した照明がついている。電話ボックスに入ると、体全体が映像と音に包まれることになる。

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Youtubeの映像は前方が階段なので映像がギザギザになっているが、藝大美術館での展示では壁面だった。外からの映像なので、ホームの時計と電車が別々に投影されているように見えるが、中からだと重なって見えている。自分の影が映ったり映らなかったり、アクリル越しと反射の映像が複雑に絡み合い、プロジェクターを意識することはない。電話の音に導かれボックスの中に入ると、電子銃のようなカタカタした音が響き出す。不安を煽ってくるようで、日常から一気に切り離される。ホームの時計、通勤電車、踏切の音、夜の大通り、信号の音、車の騒音、一つ一つはなんてことない日常の音や風景の組み合わせが、一気に心の中に押し寄せてくる。すると、将来の不安を抱えて歩いた学校帰りの夜道や、仕事で本当に気持ちが疲れてしまった日の駅のホームとか、今まで思い出すこともなかった光景と感情が、急に溢れ出した。追い打ちをかけるように、電子銃ような音と激しく動く無数の矢印が、ゆさゆさと感情を揺り動かしてくる。急に音が止み、無数の停止マークに囲まれる。不気味な静けさの後、ガチャっという施錠音と伴にに停止マークが45度傾く。ここが終わりと、しっかり示すように。電話ボックスの外は雨が降り出し、思わず空を見上げる(本当に電話ボックスにいる気持ちになっている)。そのまましばらく立ち尽くし、繰り返される映像と音に身を委ねた。人間はあまりにも感動すると、感情に対処することに全て集中してしまい、体が動かなくなる。デート中らしきかわいい女子大生に作品の一部の人形と間違われ、「よくできてる~、本物みた~い。」と言って顔を覗き込まれ、ようやく現実に引き戻された。ふらりと立ち寄った展覧会、何の予備知識もなく数分の作品を体験しただけなのに、まるで映画を観た帰りのような、ずっしりとした気持ちをかかえ帰路に着いた。


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すっかり岡氏の作品のとりこになった私が、次に鑑賞(体験)したのがこちらの作品。


東京駅にも近いオフィス街、大通り裏手にある古めの小さなビル、地下ボイラールームが展示場所。平日の昼間とあって、地下には誰もいない。本当にこの場所であっているのかと思いつつ、少し硬いドアノブを力を込めて回し、鉄の重い鉄の扉をゆっくりと開ける。金属がこすれるような音や、機械の稼働音のような低い音と共に、部屋全体にゆらゆらと浮かぶようにように、ボタン、スイッチの映像が点在している。部屋には一人だけ、閉じ込められるような気がして怖かったが、そっと扉を閉める。何枚かアクリル板があることは認識できるが、映像と反射が複雑で、下手に動くとぶつかってしまいそう。どこに何枚、どの角度で置いてあるか、プロジェクターは何台あるのか、見れば見るほどわからなくなる。展示品のパイプは、完全にボイラールームになじんでいる。最も混乱したのは、ちょろちょろと水の流れる音。部屋のちょうど上には、手洗い設備がある。数分間の作品なので、何度か繰り返し聴くことで見分けがつくはずと意地になったが、お手上げ。部屋にあふれるリアルとフェイクに翻弄され、気が付くと完全に作品に支配されている。このまま私自身が作品のなかにすっと消えても、誰も気が付かない、別世界に引きずり込まれるような恐怖に襲われて、部屋を出た。『あなたの知らない世界』の最後の落ちにありそうな、「そもそも作品の展覧会なんてなかった。誰に聞いても知らないと言うし、案内の情報も消えている。確かにこの目で見たのに。」みたいなことが起こってしまいそうな作品と展示場所だった。

 

遊びに行った藝祭では、実物作品の展示はなかったのだが、ご本人と初めてお話をすることができた。すっかり興奮して、聞かれもいないのに素人の感想を一方的早口で話してしまう。拙い質問内容も理解し、素人でもわかりやすい言葉で説明して下さった。藝大は、芸術家でありながら、話したり説明が上手い方が多いように思うが、岡氏は、非常に論理的なので特に理解し易い。

シナプスのついたふたつめの嘘
電話ボックスシリーズ。藝大美術館陳列館の階段踊り場に、まるで普段もそこに置かれているように配置された公衆電話。受話器を上げると、公衆電話が置かれたどこかの風景がディスプレイに映り、その場所の音を受話器で聞くことができる。前の2作品と異なり、作品に全身を囲まれるものではないが、受話器を上げて耳に当てるという行為を経ることで、受話器から聞こえる音に注意が向くので、割と作品に入り込めた。 劇的なことは起きないので少し物足りない気もしたが、岡氏の説明を読んでしっくり来た。
"例えば映像内部に登場人物がいて、電話越しに話しかけてくるみたいなアクションが起きたとして、体験者がそれに対して発話してしまうとフィクションが崩れてしまう、「繋がってるかも」という感覚を壊してしまうという部分で、要素を削ったという感じです。"

 

岡山市柳町1-8-19
「買い上げ賞」を受賞された卒業制作の作品。屋外に建てた小屋に、実際に使われていたソファー、テーブル、棚、ランプ、花器等を運び込み、おばあ様の部屋が再現されている。テーブルにはメモや、飲みかけのコーヒーまで、細かい。プロジェクターはソファーの方を向いているが、アクリル板があるので、その反射映像が壁に映る。部屋なので、5、6人で鑑賞できる。最初は後ろにいたが、ソファが空いたので次は座って鑑賞した。見え方が全く違う。

 使い古されたソファのスプリングは柔らかく、包み込まれるように体が沈み心地よい。まずは岡氏が久しぶりにおばあ様の家を訪ねて感じたことが、映画のように文字で映し出される。古いラジオ音声に、懐中電灯で古いアルバムを左から右にゆっくり照らすような映像、丸く照らし出された部分を目で追ってしまう。天井からつるされた花器には何も生けられていないが、壁に映る影には、生けられた草花があった。後ろのガラス扉の吊戸棚が照明のように光り出し、ソファ前面のアクリル板に反射する。戸棚の前にいる人影もいっしょに。映画を観ていたら、一瞬自分たちの影もスクリーンに映るような感覚。そこにいる自分たちの存在を意識させる。今度は、壁一面に大きな窓が映し出される。部屋の中は暗く、冷たくぼんやりとした街灯の光が、窓越しに入ってくる。時々通りを行きかう車のサーチライトが、窓をゆっくりと左右に照らし出す。見ず知らずの人たちと、知らない人の暗い部屋で、一緒に窓の外を眺めているような、不思議な気持ちになる。最後は映画のエンドロールのように、作品に携わった方の名前が表示される。
私はパーソナルスペースがかなり広いこと、人の出入り、外のウッドデッキをコツコツ歩く音等が気になり、前の作品ほどの作品に入り込む没入感はなかった。岡氏の作品はすばらしいけれども、一人か二人程度でしか鑑賞できない制約があったので、もっと多くの人に鑑賞してもらうための足掛かりのように思えた。

人々は、体験型や仮想現実のアートを知り始めていて、今すごく求められている。岡氏の作品が今以上に認知され、評価される日は近いように思う。作品を何十分も独り占めして鑑賞できたのは、きっと貴重な経験になるだろう。

(物理的な運搬や雑務的なことに時間を割かれ、才能ある人が構想や制作に十分な時間を割けない状況を気の毒に感じてたので、ご苦労が垣間見られるツイッターの写真を多数引用しました。)