日本にクラブカルチャーはあるのか
音楽やクラブ関係者の本音が、一気に可視化されている。きつい。でも、なんとなく感じていたことが文字になって表れただけのことで、それぞれの考え方や大事にしているものが、はっきりわかって良かった。
ワイドショーや電車の中でそう言われているのかもしれないが、ライブハウスや若者が悪者にされたと怒りを爆発させ、逆に高齢者を差別。お年寄りが、皆遊び歩いているとは限らないのに。ライブハウスや若者に対することと、同じことをやっている。高齢者が重症化しやすいウイルスは、高齢者だけの人口削減できて好都合だから若者はどんどん広めてやろうぜ、そんな意見を何度も目にすることになってしまった。自分の好きなアーティストや家族がコロナウイルスにかからないと、実感できないんだろうな。新型コロナウイルスを発症すると、息を吸っても吸っても苦しいらしい。多くの人がそうしてお亡くなりになったかと思うと胸が痛む。
ナイトクラブ業界の人、インディーズのミュージシャン、フリーランスの人は、今日明日の生活費が必要で、公共の利益なんて考えていられないのは理解する。結局、マスクもトイレットペーパーも、売り切れる前に買うような人が生き残る。
景気が悪化すれば、新型コロナウイルスの死者よりも、自殺者が増えるという自粛反対派の主張。景気が悪くなったら、自殺しなきゃいけないのか。それを防ぐことは考えようとしないのか。そんなことより、目の前の自分と家族の生活を守ることが必要で、余裕がないんだろうな。当然だ。誰かが恵んでくれるわけでもないし。ただ、新型コロナウイルスよりも多くの自殺者が出ると、自殺を使って根拠なく煽るのはよくないと思う。
新型コロナウイルスがインフルエンザみたいなものという人は、決まって根拠を示さず、「今でもそう信じている」「信じたい」という。もしくは、京都大学 藤井聡教授の主張を引用している。新型コロナウイルスとインフルエンザの違いとリスクは、ググれば1ページ目に十分な情報が出てくるのに。
京都大学 藤井聡 教授の計算式は、何の根拠もなく、適当に国内感染者数を1000人と仮定したシミュレーション結果。(100人以下のイベントで感染率がほぼゼロなのかについての詳しい検証は、下記のエントリで、)
ヨーロッパは、武漢の状況を対岸の火事のように甘く見ていて、今の状況になった。
今この状況下でクラブイベントを行うことは無責任だし狂っている。東京のクラブは今すぐ営業停止しなければいけない。
— Mindgames (@mindgameslab) 2020年3月15日
社交のつながりを減らすことが今唯一できることなのだ。
どのイベントでも、ウイルスの拡大源になり、10人、100人、1000人の感染者を増やしてしまう可能性がある。#cancelTokyo
嘆願をどう受け取って、どう行動するかは自分の判断。大阪のライブハウス、ベルリンのクラブでクラスターが発生し、感染が広まったことは事実。十分な換気ができない状態で、「万全」や「完璧」なんてあり得ない。リスクは認識していて、お客さんへの危険をゼロにすることより、自分たちの生活がかかってるから店を開けているんだと、そう主張するのはいい。ただ、嘆願を批判して、黙らせようとするのはどうかと思う。武漢で最初に新型コロナウイルスに気が付き警告した医師は、公安から処分された。武漢全体の経済責任を取れなくても、警告してもいい。公共の利益のために、警告する自由はあるでしょう。
李氏が、医師の同僚が参加するSNS(交流サイト)「微信(ウィーチャット)」のグループに「海鮮市場で7件の重症急性呼吸器症候群(SARS)に似た肺炎が確認された」と書き込んだのは、2019年12月30日のことだった。武漢市公安当局は李氏の書き込みを見つけ出し、事実でない書き込みであり「治安管理処罰法」に違反しているとして李氏を処罰した。
新型コロナウイルスの存在が公表される前に警告を発した武漢の女性医師が病院関係者らに口止めされ、医師を取材した記事も公開後に一時、削除されていました。
中国の雑誌「人物」は10日、武漢市中心病院の艾芬医師が去年12月30日にSARS(重症急性呼吸器症候群)に似た症状の患者に気付き、同僚にSNSで情報を共有して警戒を促していたと報じました。その後、艾医師は市の通達に基づいて上司から「パニックを引き起こすな」と口止めされたということです。「デマを流した」として警察に処分され、その後、肺炎で亡くなった李文亮医師も艾医師の情報をもとに警告を発していました。当局は当初、この記事を削除しましたが、いくら消しても英語や日本語をはじめ点字にまで翻訳されてSNSで拡散され続け、現在、記事の削除はストップしています。
店を開けなきゃいけないのは、生活がかかってるからなのは理解する。生活費を稼ぐため、要はビジネス。「自分たちの遊び場は自分たちで守る」「文化が失われてしまう」という大義名分を掲げるのは、美化しているように感じる。主張している人たちはDJなんだから、「自分たちの職場は自分たちで守る」なのでは。インフルと変わらないとか、100人以下はほぼ感染率ゼロであるとか、不正確でデマのような情報を流して、自分の判断を正当化しようとするのはよくないと思う。Mindgamesさんの嘆願に強く反発するのは、自分たちのいまやってることに多少の後ろめたさがあるからなのでは。
皆が協力して力を合わせてウイルスを戦うことに、ナショナリズムを感じる人が多いのも感じた。節電やCO2削減と同じことなんだけどな。日本は島国で、自分のアイデンティティと向き合うことが少なくて、国旗や国歌が戦争を想起する人が多いのかも。
ついにテレビで国歌が盛んに流れ、イタリア人六千万の連帯が叫ばれ始めました。結局こうやってナショナリズムに走るのですよ。ウィルスと国民国家は関係ないでしょ。日本にいればイタリアがんばれと言いますが、イタリアにいれば嫌な面が見えてきます。これが見れただけでも滞在の意義があります。
— Masaki Yamate (@MasakiYamate) 2020年3月13日
今また感染症の危機を目の前に、浮き彫りになった社会の問題点を棚上げして「ウィルスとの闘い」などとヒロイズムに酔う方向に突き進むならば、日本社会は更に荒廃するだけだろう。
— 링고 Ringo (@R88088595) 2020年3月11日
風営法の取り締まりも、シドニーのロックアウト法も、事件をきっかけに厳しくなった。日本のクラブ業界は、まったく横の連携がなくて、風営法改正のときに約束したことが何もなされていない。自主的に内側に対して厳しくすることが、自由を守ることに繋がる。
今回、海外のクラブやクラブコミッションのステイトメントには励まされた。クラバーや従業員の健康を大切にする言葉があった。クラブや音楽業界だけでなく、あらゆる業界や人々が影響を受けている。日本の音楽業界の人は、自分たちのことだけで精一杯のようだ。多くの小箱による経済活動があり、それで生計を立てている人がいるのは理解した。ただ、守らなければならないカルチャーが、私には見えてこなかった。友達の集まり以上のものが。差別もそこそこひどい。それも含めた友達の集まり、コミュニティこそがカルチャーなのか、私にはよくわからない。政府や東京都に支援してもらうために、文化的価値を理解してもらうのは簡単ではないように思う。過去、数々の震災や危機において、アーティストがその時をしてくれたかよく覚えている。どういう風に希望を与え、どれほど力づけてくれたことか。今回は、今までと違うように感じている。自粛だから保険が適用されないことによるものなのか、2011年から経済が悪化して余裕がなくなってしまったのか、CDが売れないからなのか。自分がどうしても守りたいものは何なのか、何ができるのかを考えている。