未来を奪われた少女の復活 Hoàng Thuỳ Linh - Để Mị Nói Cho Mà Nghe

先日紹介した世界のMVの1つベトナムのMVについて調べてみたら、アーティストが人生をかけた作品であることがわかった。道理でクオリティが高くこだわりが感じられた訳だ。
Hoàng Thuỳ Linh - Để Mị Nói Cho Mà Nghe (あなたに言わせて)

Hoàng Thuỳ Linhは人気の子供向けテレビドラマに出演する女優だったが、セックス動画をネットに流出され降板させられてしまう。彼女は謝罪。彼女はまだ19歳でリベンジポルノの被害者であったのに。
BBC NEWS | Asia-Pacific | Web sex clip halts Vietnam TV show

アジアの五大セックススキャンダルの一つとなり、芸能人生命は絶たれたかのように思われたが、世間が持つセクシーなイメージを逆手にとりモデルや歌手として活動。

Hoàng Thuỳ Linh のこれまでのMVを見てみたが、ありきたりで印象に残らない。なぜ最新作が今までの作品と大きく異なるのか、インタビューを読んでわかった。この曲を録音する時、Linh は自分に言い聞かせた。「みんなが好きになるでしょう。」だがMVがリリースされると緊張した。これは独立したプロジェクトなので、Linhが全ての手順に気を配らなければならなかった。視聴数が徐々に上がり、人々が話題にしているのを聞いてLinh は幸せだった。自分の歌が何度も再生されるのを嫌いな歌手がいるだろうか?

(MVの冒頭、受験勉強のようなシーンで始まる。2019年6月にMVはリリースされているが、ベトナム大学入試センター試験にあたる国家高等学校試験も6月。)試験の直前にMVを出したのは偶然。MVの雰囲気は幸せなので本当は春に出したかった。

MVリリース直後にインタビューを受けなかった理由については、メッセージが正確に伝わることを望んでいたから。MVリリース直後は幸せで疲れていた。まるでマラソンを走破したか山頂を制覇したかばかりのように枯れ果てていた。ただ休んで状況を見守りたいと思った。自分の中には怯えている鳥と飛躍したい不死鳥がいて、その間で揺れ動いていた。でも突然気が付いた。私はもう若くない。今温存しているエネルギーを燃やさなければ、勇気を出して何かする時期は来ないでしょう。長生きすればするほど、やったことよりもやらなかったことを後悔するだろう。

MVはいくつかの文学作品に出てくる人物を登場させている。「フー夫妻」という作品はLinhが大学に入るのに役立ったので特別な作品。鑑賞者、特に学生に文学作品を知ってもらいたい。文学作品の登場人物は夢と大志をもっているが、我を忘れているのに気が付かないほど自分たちの生活を踏みにじられている。Linhはこれらの作品を読むとき、魔法で彼らの問題を解決することを夢見た。アートによって、例え数分であっても、文学作品の中の自由に望むことをやりたいと願う登場人物とMVの中で再会できる。もし我々の生活が枠組みの中にあるのなら、MVの中の(主人公)Miのように振る舞って鎖を断ち切ることができると期待している。我々は人生の始まりを上書きすることはできないけれど、今を変えることで我々の(人生の)違ったエンディングを描くことができる。

Linhは穏やかで芸術的な復帰の仕方を選ぶかもしれないと人々が考えているときに、宣言するような「Để Mị Nói Cho Mà Nghe (あなたに言わせて)」をリリースし、とても強い復帰をした。30歳は一般に安定しなくてはいけない節目ではという問いに対して、Linhは「正しい」という言葉が全く好きではないと。私たちの生活は本質的に縛られているので、過剰に「正しい」ことは不可能。 10年前人生の暗い瞬間においても、Linhは頭の中に「正しい」という言葉を一つしか持っていなかった。それは生きること。そして今、ただ一語 「しなければいけない」だけが残っている。それは死ぬこと。今からその日までに、Linhは好きなことと大切なことをやろうとする。誰かの古い考えや願いに応えようとはしない。なぜ女性は彼氏と夫がいなければならないのですか?私は愛されたいが、それは一緒に暮らす死人を持つのではない。人々はそれを安定した結婚と呼ぶ。しかし、残念なことに結婚が破綻した場合、「安定」の概念は私たちが描く幻想なのか。

今は狂ったように働く時期。 MVがリリースされる1週間前、Linhは眠れなかった。心が不安で満たされ、考えていた。視聴者は私を受け入れるだろうか、私が良いと思うこの考えについてマーケットはどうだろうか?Linhはあまりにも長い間フィールドから離れていたので、走る感覚を失っていた。まる一年、Linhはあまり睡眠をとらなかった。Linhは一人で生きているとき元気だと思っている。他人と共有するのが本当に難しいクリエイティブな感情があるから。概念を理解しているという感覚を人に伝えるのは不可能で、自分と他の人が狂ってしまうだろう。そうは言っても、Linhが愛を必要としない、あるいは男性を必要としないという意味ではない。究極的には私たちが欲しいものは愛であるが、ないとダメなものではない。

Linhは10のプロジェクトを実施している途中。このMVの後に次のMVと続き、アルバムになる。将来的には映画になるだろう。

この職業に関して言えば、競合なくして明確に羨望の的であるとは言えない。私たちはスポットライトが欲しい。私たちに向けられる全てが欲しい。満員の群衆を見るのが好き。それはアーティストのとても利己的な感情である。口にするかどうかは別として、誰もが自分を一番にしてほしいと望んでいる。そして私はナンバーワンになりたい。ナンバーワンになるために一生懸命努力しなければならない。KPIを持たなければならないときには、数字に従う。走らなければそこに座って他の人が走るのを見ることしかできない。なぜ韓国やアメリカの芸能界はこんなに発展しているのか?ライバルは休みなくお互いに戦っているから。まだ階級のヒエラルキーはあるが、アーティストは仕事の中でお互いリスペクトしている。

有名なアーティストとのコラボレーションで名を知られている若手ディレクターNhu Dangを除いて、Linhはなぜ無名のチームと協力することを選んだのか。Linhは、Ho Hoai Anh氏とLuu Thien Huong氏との協力を依頼した日を覚えている。彼らの出発点はゼロより低かった。しかし、彼らはLinhを助けることに専念した。その恩は永遠であり、決して忘れない。2人のうなずきは、Linhの振る舞いと考え方を変えた。実際、スターがスターになるとき、彼らは懸命に働き光が当たるのを待っている無名の石。なぜ無名のときチャンスを作りたいか?私たちが有名になったとき、他人にチャンス与えることを拒否する。Linhは常に若者の中からカリスマを見つける。Linhは彼らと仕事をすることで、野心とモチベーションを取り戻した。なのでLinhが彼らに光をもたらしたのでなく、彼らがLinhを光のあたる場所に連れ戻した。

Linhはいつも遠くへ行きたかった。それを口にする度、一歩先へ進むと言うことを恐れていた。ちょっとした成功や小さな一歩について話す度に、Linhは「盗む」という言葉を言った。神によって罰せられるのを恐れていたから。しかし、Linhの遠くへ行く夢は現実のものとなった。しかし1万マイル遠くへ行っても、Linhはルーツを決して忘れない。ベトナムのようなアジア諸国にとって、文化は本当に宝物。LinhはいつもHồ Xuân HươngやMiを見ていた。どんな時代の女性も彼女たちを信じていたから。(男性に)愛されることを望まないこの世の誰もが、その能力を認められこの上ない幸せになる。鎖で繋がれているのなら、自身で断ち切ることを強いられる。文学の中でMiが自身とPhủに対してしたように。

Linhは過去のことを心の傷として受け入れている。心の傷は私達が体から取り除くことができない。美容手術をしてもシミはまだ残っている。もっと重要なのは、脳や心臓に取り込まれて、洗い流すことができないということ。けれど私のことが嫌いなどれほど多くの人がこれから私を愛してくれるだろう。「Linhが勇敢に芸能界に戻ってきたことは大きな成果だ。」と言われているのを耳にすると、Linhはとても暖かい気持ちになる。しかしそれは単に心が温まるだけで、道半ば。お金をかけて芸能界のオーラに固執する誰かではなく、芸術に専念することを切望するアーティストとして認めてもらいたい。同志よ、苦労してきた何年もの間に、座って楽しんで子供のために結婚もできた。事件の前に持っていた野心と夢はどうした?精神的にはそれをしなければならない。ピクサーの映画『カールじいさんの空飛ぶ家』を覚えている?老人は彼の人生の終わりを迎えるとき、妻との昔の約束を思い出した。それで彼は何千もの風船で冒険をすることにした。LinhはHoàng Thùy Linhの名前で観客に釘付けにするという彼女のの夢を実現したいと考えている。「Linhはこんな人ではなく前の方が良かった。」というかもしれないが、「Linhはこういう人だし才能あるアーティストだ。」と言われたい。

(Linhが言う)「私は塩辛くなりたい」に隠された意味があるのは理にかなっている。Linhはインタビューを受ける人として良い人ではない。実はジャーナリストを少し恐れている。 ある時期はジャーナリストをハンターのように見ていた。 しかしそれから大人になり気が付いた。ジャーナリストは全員彼らの仕事をしていた(だけ)。彼らは私を嫌いではなかったのでは? けれど何年も恐怖で怯えていたために、知らない人と会うとき、愛想よく無難なことを言い、劣等感を払拭するためにふざけたことを言って笑わせたりした。ある日、リンは鏡を見て言った。「大丈夫。今日からは違う。私は遠くに行きたい、私は遠くに行くための荷物を準備しなければならない。」

気持ちの切り替えは簡単にできるのか?多くの人にとって、早く起きて運動することはさえ大変な挑戦。人間の意志は最も弱いものであり、最も強力なものでもある。女性は1メートルより高くジャンプすることはできない。しかし子供の命を守る必要があるときは、2メートルの壁を飛び越えることができる。世界の偉大なものは全て人間の意志によって生み出されている。Mai Phương Thúyはかつてこう言った。「悲しいとき、満足するまで悲しむ。十分だと思ったとき私は立ち上がるだろう。もう悲しまない。」立ち上がる瞬間に「もう悲しまない」と言うのは意思の声だ。実際「Để Mị Nói Cho Mà Nghe (あなたに言わせて)」を聴いて、Miのような行動をしようとしたとき、紐を引き裂き、監禁されている目に見えるものと見えないものを自由にしなさい。Linhは実際そうしてみて、今の気分は『カールじいさんの空飛ぶ家』の老人のように素晴らしく上々だ。まだ(老人ではなく)若いですが(笑)。

以上がインタビュー記事の内容。才能ある人が心血を注いで創り出した作品は、説明しなくとも価値が伝わるのだと実感した。RosalíaやBilly Eillish、アーティスト自身が自由にプロデュースできている作品は面白い。BBC上半期YouTube MVチャートの半分がラテンポップだったという記事、その中で「以前音楽はレコード業界のゲートキーパーによってキュレーションされていた。彼らは大抵中流階級の中年の白人男性だった。今は一般大衆によってキュレーションされている。」と述べられている。すごく実感としてある。中年男性にプロデュースされ従順に正確に歌い踊り、お金を落としてくれる多数派層からいかに多く愛され嫌われないかを極めるアーティストは私にとって何の魅力もない。

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