冨安由真展 「くりかえしみるゆめ Obsessed With Dreams」

しばらく展示行ってないな不足してる何かないかなと検索して、偶然出てきた展示。岡ともみ氏の作品に出合い、作品の中に入って鑑賞することにすっかり魅了されてしまったこともあり、美術手帖のこの記事を読んで面白そうだったので行ってみることにした。
第12回 shiseido art egg:冨安由真展 くりかえしみるゆめ Obsessed With Dreams
2018/6/8(金)-7/1(日)
会場: 資生堂ギャラリー

初日のお昼だったので人はまだ少ない。アンティークのドアを開け、展示スペースに入る。壁はベニヤ板。照明は落としてあるものの家具の展示スペースのように見えなくはないし、部屋として感じるには正直ちょっと厳しい。黒で塗装されていればだいぶ印象は変わるかも。あとは匂いとか。

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岡ともみ氏の「spaceB」はビルの地下本物のボイラールームで展示されていて作品と場所が一体化していたし、「シナプスのついた嘘」は作りこみはそれほどでもなかったが、全身が音と映像で包まれることで作品の世界に一気に引き込まれた。今回の展示を見た方がよく比較されていたのは、同じ資生堂ギャラリーの過去の展示、目【め】による「たよりない現実、この世界の在りか」、細部まで再現されたホテル。
たよりない現実、この世界の在りか/展示風景|SHISEIDO GALLERY|資生堂

今一つ作品へ入り込めぬまま回遊。ときどき小さな展示物は入れ替えられたり位置が変えられたりしているので、写真を見るといつ来場したかわかるそうだ。
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鏡越しに顔が消された絵画を見たり。
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会場はスペースが2つに分かれた変形したホールなのに、作品の仕掛けを収める場所も確保した上で、よくこんな回遊ができる設計ができたなぁと感心。
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1周する間のべ4人くらいとすれ違い、1人で部屋で鑑賞しているとたまに人が入ってくる程度の混雑。年配の女性は「怖かったわ。特に絵が。」と言っていた。仕掛けで開いたドアを律義に閉めようとしているおじさんがいて、壊れたら大変と慌てて「勝手に締まりますから、そのままで大丈夫ですよ。」と教えてあげた。

2周目、さらに人が減った。作品に集中したとたんドアが開いて人が入ってくることもほとんどなくなる。すると作品の接し方みたいなものが掴めてきた。やはり音の効果は大きく、音により作品に入り込めていった。ガラス窓を叩く強さ、間合いが絶妙。誰かが急いで開けてくれと頼んでいるよう。長い布がかけられたクローゼットのような場所は特に照明を落として暗くしてあり、そこには仕掛けがなかったのだけど、布が動いたり何か出てくるような気がして視線を向けてしまう。絵画でも10分、20分見ているとスッと溶け込んで絵の世界に入り込める瞬間があるが、同じような感覚が訪れた。

一番長居したのは一番大きな部屋。温かみを感じる本物のアンティークの調度品で構成されている。扉や引き出しが勝手に開く、扇風機が回り風が吹く等、仕掛けも一番多い。仕掛けの動きや動く間隔は自然で、プログラムされ機械で動いていることを感じさせない。私の場合怖いと思うことは一切なく、むしろその気配を愛おしく感じた。亡くなった家族やペットの幽霊なら会いたいと思うような感覚。次はどこからどんな風に語りかけてくるか、楽しみにして待っていた。怖がりな私がそう感じたのは、窓のたたき方や扉の開き方等が、お化け屋敷のように人を脅かすような乱暴さがなかったからだと思う。"何か"が気が付いてほしくて窓をトントンならしているようで、「はいはい、わかったよ。」と優しく応じたくなるような気持ち。部屋には天井がなく、吹き抜けはギャラリーの階段と繋がっている。階段を上り下りする足音やささやくような話声も、作品の一部のように溶け込んでいた。部屋自体はべニアの木の香りがする新しさが出てしまっても、配置された多数のアンティーク品が古くなじんだ空気感を醸し出していた。落ち着く空間で穏やかなになれた。私が古いレコードやアンティークの洋服にぬくもりを感じ、人より強く愛着を持つタイプだからというのもあるのかも。
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鏡越しに部屋を見る。
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結局1時間ほど滞在していた。岡ともみ氏の作品もそうだったが、やはり部屋に一人である程度の時間滞在することで感じられる作品かと。美術はビジネスではないが、ただ芸術家も食べていかねばならぬわけで、作品の鑑賞者数が極端に限られるのは制約。お金だけのことで考えれば、富裕層向けのインスタレーションという道はあるかもしれないが、一度あの感覚を味わってしまった庶民としては、手の届く芸術であってほしい。

クレジットに山形一生氏のお名前が。

窓を叩いたりするメカニズムはどなたが担当されたのか、冨安氏がどの程度ダイレクションされたかが気になる。あの自然さを出すのは結構難しいと思う。音と叩き方によってはかなり白けた空気になり台無しになってしまうはず。


今更感想を記そうと思ったきっかけは、美術手帖のこの記事。まともに鑑賞できなかったのにビューを書いてしまう。冨安氏はインタビューで「怖い」だけではないと語っていて、鑑賞できず自身が作品から感じとったわけでもないのに「怖い体験」をテーマに書いてしまう。ひどい。杉原環樹氏のインタビューとの違いは歴然かと。こんな方が有名な賞の審査員を務め、大学で美術を教えているのか。記事を載せている美術手帖にもがっかり。

人はなぜ恐怖を疑似体験したがるのか。
椹木野衣評 冨安由真展「くりかえしみるゆめ」

バズった発端である青野尚子氏のツイートもひどいと思った。「お化け屋敷」と印象付けてしまった。写真の撮り方も。撮り方の技術とかではなく、写真はその人が見ている視界を切り取るもので、そういう風にしか見れていないんだなと。こういう方がブルータスで「今週末見るべきアート」とお薦めしちゃってることもわかってしまい残念。

医者の世界とかスポーツ界とか、そういう狭い世界は限られた人が権威を持って評価軸を作ってしまう。美術の批評家も素人の率直な感性を見下しがちに感じることが多い。私は批評で美術の価値が変化するのはおかしいと思っている。作品は自由に感じたいし、本当に良い作品が評価されてほしい。

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