文化庁メディア芸術祭 功労賞 梯郁太郎 (②人物編)
入る会社がなければ、作ればよいと作ってしまう。できないことではなく、どうやったらできるかを考え、駆け抜けた人生だったのか。自らの人生で示した、ご本人の肉声の言葉は重い。一方、今ではあまり聞かなくなったようなベタな関西弁で、生き生きと語る姿はチャーミングにも見えた。起業することが良いこととは限らないが、16歳、42歳、83歳で起業するバイタリティには、感服。
"これもいいシンセだったのに、あんまり売れなかったなJDは"
(まなざしに愛着を感じる。)
エース電子工業株式会社
"経営方針の対立から、自分で作った会社を自分で辞めた。"
"四十二歳で再起業するとき、やっぱり自分の夢を選んでしまった。"
"面白くないものは一日も仕事したくない"
"どこのメーカーの製品を使ってもらってもいい。"
"音楽を作るのはミュージシャンなんだ。"
"メーカーがエゴを捨てたとき、新しい道がひらけた。"
"約束された未来などない時代。"
死ぬまで夢中でいられるって、素敵やな。