音楽マイノリティとメディア

フェスのラインナップやバンド再結成に沸くタイムライン、楽しそうで羨ましい。

アイドルやバンド JPOPも苦手、友達と好きな音楽の話をしたことがなかった。NHK紅白の時間は、自室に籠ってた。音楽を教えてくれたのは、古い曲ばかり紹介するFM局の番組(新譜をほとんど紹介しない番組がよく許されてたものだ。)とTSUTAYAの洋楽の棚。当時洋楽の新譜はすぐには借りられず、古い音楽はベスト盤しかなかったり、その曲が流行っていた時代と自分が聴いていた時代が全く合致しない。一人で少し大きな街にでかけられるようになってからはCDショップの視聴機。シングルカットされる洋楽はほとんどなかったので、少ないお小遣いでどのアルバムを買うか、視聴機の前で延々悩んでいた。選ぶのに没頭して、随分長居してしまっていたな。若干潔癖傾向なので視聴機のヘッドフォンはできるだけ接地面積が少なるように装着し、家に帰ったら即お風呂に直行してゴシゴシ頭を洗った。テレビや友達から好きな音楽のインプットがないので、自分で探す必要があった。掘ることが当たり前で身についたから、それはそれで良かったのかもしれない。

パソコン音楽クラブや長谷川白紙、彼らの情報を求め毎日何十人もが私のブログに来てくれる。不思議な気分だ。数字を目にしてもまだ実感がない。「彼らの音楽、相当変わってまっせ。もしや誰かとお間違いやないですか?」という気持ち。

関ジャム 完全燃SHOW「売れっ子音楽プロデューサーが選ぶ2018年間ベスト10」。どうせ知らないバンドばっかだろうなーと期待していなかった。蔦谷好位置氏の2位 中村佳穂、1位 三浦大知。バンドじゃないし、大手にも所属していない。関ジャムはまだ他の音楽番組と比べれば、幅広く音楽を取り上げてきた方だ。マイナーな音楽はバラエティ番組で俳優が好きな音楽として取り上げられることはあっても、音楽を評価されて選ばれることはなかった。レーベルがスポンサーの音楽番組はもちろん、テレビ局はドラマの主題歌や芸能事務所との力関係を優先して当たり前のように選んできたと思う。tofubeats氏も攻めた選択をしたと思ったけど外されちゃった。注目が高まるこの人気企画の最上位であの選択。勝手にだが、地上波で許されるギリギリコーナーを攻めるような挑戦に思え胸が熱くなった。番組の最後、関ジャニの曲は?と振られ、即座にアルバムの曲を答えられる蔦谷好位置氏はさすがだった。
美しき挑戦 - 蔦谷好位置 公式ブログ
https://lineblog.me/tsutayakoichi/archives/67303105.html

音楽のチャートは音楽の評価ではなく、知名度と人気の指標だと思ってる。CDのセールスに握手したい願望が反映されたりもしてきた。大手レーベルと契約したり、マネジメント会社に所属した途端、仕事の内容と規模ががらりと変わるのを目にしてきた。大手はお金をかけてプロモーションしタイアップや大きな仕事を獲れる。大手レーベルは音楽メディアの広告主でもある。メディアも部数や閲覧数を上げなければならないから、主題歌を歌うミュージシャンや音楽だけではない人気で選ぶ。音楽メディアがまだ見出されていない才能を世に知らしめる役割を果たしてきたとは思わない。評論家もそう。私の好きな音楽はタワレコbounceでさえ、親指くらいの紹介文だったのを覚えてる。この前やたらブログのアクセス数が増えたので何かと思えば、ディーン・フジオカ氏がWOMBのイベントに出るらしく、クラブに行ったことがない彼のファンが私のブログを参考にして下さっていたからだった。ディーン・フジオカの音楽を誉めまくるか、反対にディスれば簡単にアクセス数稼げるだろうなと思った。

メディアは音楽性を評価して取り上げないのだから、例え個人のバイアスがかかった単なる好みで選んだとしてもフックアップの役割は大きい。影響力のある音楽家は良い音楽が埋もれないために積極的にフックアップをお願いしたい。テレビで取り上げられたり、有名俳優やミュージシャンが言及された後人気が出るのは、今まで単に認知される術がなかっただけで、聴いてさえもらえば良さが理解される証。個人の好みが多様化してきたとか言うけど、昔から個人の好みは幅広くて選択肢が少なかっただけ。デビューしてテレビやラジオに出演できるのは限られた人だった。

出版されている音楽誌、アクセス数が広告収入になるネットの音楽メディアの批評も興味がない。褒めるしかしないし。批評家の推測はあてにならないから読む気がしない。本人のインタビューや解説は読む。自分がはまって初めて気が付いたけど、ファンからするとアーティストに興味のないライターや批評家が書いた記事を読むのは辛い。CDショップのポップも酷いときある。パソコン音楽クラブの展開のときは、情報が少ないから私のブログも随分参考にしてもらったようで、下手に頑張って書かれるより素直に使ってもらって良かった。

POP LIFE: The Podcast ホスト:三原勇希×田中宗一郎
#000 POP批評の三悪人 ゲスト:宇野維正& 柴那典
https://open.spotify.com/show/7nEkNCcSn3m6FyTVXfCQeP
17:50 宇野維正氏「メディアのベストって政治だと思うんですよ。政治って言うと悪い意味にとる人もいるかもしれないけど、良い意味での政治も含めて。でさっきたぶん三原さんのやつが評論家的と言われたのも、ちょっと政治的な感じがする。政治的ってのはどういうことかって言うと、バランスをとったりとか、それとこれは聴かれてないからこの機会にフックアップしたいみたいな。そういうことをみんなが考えたから中村佳穂とかがゴンと。あと折坂悠太とか。あの二人ってやっぱそういう思いがベスト押し上げたと思うんです。メディアのベストってのはどうしても政治的になる。」
うーん。政治的という言葉は、1億円でなんちゃら大賞を買収するとかのときに使うべきと思うけどね。中村佳穂と折坂悠太がベストに入ったのは、影響力のある音楽プロデューサーが言及し始めたりして既に人気も出始めていて、興味を持つ人が多く部数や閲覧数が見込めるから選んだと思ってるけど。

結局はある程度人気がでなければメディア記事にもならない。売れない音楽は記録に残らないから歴史上なかったことになる。私が最も聴いたアルバムの1つは廃盤、中古も出回っていない。デジタル配信もされていなくてYoutubeにもない。CDなくしてバックアップ消えたらおしまい。私の先祖は明治生まれなのにレコード出してて、なのに家族は捨てちゃってたんだけど、コレクターの方が研究施設に寄贈して下さっていたので残ってる。そのコレクターの方は第二次世界大戦中にほとんどのコレクションが焼かれてしまったのだけど、戦後集め直して下さったらしい。そういう人のおかげでご先祖のレコードは救われたけれど、今もたくさんの音楽が捨てられ歴史上なかったことになり続けているはず。

誰もが音楽を作れる時代なんだから誰もが評価したっていいと思うんですよ。音楽に限らず時代によって評価軸も基準も変わったりする。死後何十年も経って評価されることあるでしょう。それが面白さや奥深さでもある。楽曲もDJも他の誰も評価していなくても、私の心に染みたり揺さぶったりするものは、少なくとも私にとってはかけがえのないもの。でも書かないとなかったことになる。記録に残る評価だけが将来に引き継がれ歴史になってしまう。だからみんなブログ書こうぜ。何者でもない学生や会社員がその音楽に出会い、何を感じ、その人の人生にどう彩を添えたのか、私はとても知りたい。

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