Anne Hathaway主演映画『The Witches』キャンセルカルチャーと表現の自由

映画会社と主演が謝罪

Anne Hathawayが演じる魔女Grand High Witchは、指が3本で足の指がない。映画の予告編では、魔女の見分け方として、その身体的特徴を挙げている。

手足に障がいを持つ人や団体が悲しみを表明し、ワーナーとAnne Hathawayが謝罪した。自身が手足に障がいを持つコメディアン・女優・水泳選手と支援団体がコメントしている。

女優兼テレビ司会者のGrace Mandevilleは「全く以て、キャラクターが怖く見えるようにするためだけの理由だけのために、映画の悪役に障がいを与えるという判断に本当に失望しました。」と言いました。

彼女は、BBCニュースに語りました。「事実、子供たちがこの映画を見て、そして何人かは、この映画のせいで、手足の障がいや欠指症(裂けた手)の人々を恐れるでしょう。」

「私たちはこの業界で前進していると思っていましたが、再び映画は、傷跡と障がいを使って、怖いキャラクターを作成しました。」

彼女は付け加えました。「これは一部の人々にとっては単なる映画であるとわかっていますが、これはあなた方の実感以上に、障がい者の認知に影響を及ぼします。」

「この映画を見た後、クラスの子供たちが、傷跡や手足の障がいがある新しいクラスメートに対して、どのように反応するか考えるのが怖いです。」

The Witches: Backlash over film's portrayal of limb impairments - BBC News

 今回付け加えられた魔女の表現は、原作の本やオリジナルの映画にはない。

「書籍やオリジナルの映画にも書かれていないのに、魔女をより怖くするためだけに障がいを追加するのは良いアイディアだと誰が思ったのですか?」

Anne Hathaway apologizes to disability community for 'The Witches'

 Anne Hathawayは、Instagramで以下のように謝罪している。

私は最近、手足の障がいのある多くの人々、特に子供たちが、魔女のGrand High Witchの表現によって、傷ついていることを知りました。

まず初めに申し上げますのは、一部のパソコン攻撃の恐怖からではなく、他人を傷つけないことは私たちが全力で努力すべき基本的レベルの良識のようなものだからで、他人の感情と経験を思いやれるよう全力を尽くします。(どんな人でも受け入れる)包括性を本当に信じ、本当に本当に残虐さを嫌悪する人として、与えた痛みに対し、最大限謝らなければいけません。ごめんなさい。キャラクターの見た目が私のところに持ってこられた時、私は手足の障がいをGHW(Grand High Witch)と結び付けませんでした。もし私が(障がいを)持っていたら、これは決して起こらなかっただろうと言い切れます。そして、私が自分の子供を愛するのと同じくらい猛烈にあなたを愛している人に皆、特別な謝罪をしなければなりません。あなたの家族を失望させて、ごめんなさい。

Anne Hathawayが謝罪したことよりも、「自分に障害があったなら、こうはならなかった。」と相手の立場に立ち、痛みを理解しようとしている姿勢がよいと思った。

Anne Hathawayは許可を得て、手足の障がいに対する認識を高める非営利組織であるLucky Fin Projectの動画を添付している。Lucky Finは、『ファインディング・ニモ』の主人公ニモの右側の胸ビレの呼び名。ニモは、生まれつき右側の胸ビレが小さい。映画を観たときは、障がい明確に認識していなかった。そう言えば、ヒレが小さくて上手く泳げないからと、ニモのお父さんがとても心配して過保護になっていた。思い出して泣けてきた。ドリーだって、そうだもの。表現や技術が高くて楽しいだけでなく、多様性を含むとてもインクルーシブな映画だったんだ。

映画の中で3本の指を手袋で隠していることについても、批判されている。肢体の欠損を隠そうとする人が多いそうで、確かに日本ではあまり見かけないし、正直一瞬驚いて見てしまうと思う。歩行に必要な機能としての義足は別として、見た目だけのために義手や手袋は必要ないものね。髪が薄い人も、隠さなくていいのにとよく思う。ある程度慣れで、生まれたときから外国人の多い街に住めば意識しないし、男性同士・女性同士のカップルのキスも、しょっちゅうInstagramのタイムラインに出てくるからもう慣れた。

キャンセルカルチャーと表現の自由

手足に障がいのあるコメディアンAlex Brookerはコメントの中で以下のように話している。

this cancel culture that we live in now. I'm not looking for people to be cancelled and sacked and stuff like that,
(我々が今生きているこのキャンセルカルチャー。私は人々がキャンセルされたり職を解かれたり、そういったことを望んでいません。)

The Witches: Backlash over film's portrayal of limb impairments - BBC News

わざわざこう前置きしなければ炎上してしまう状況は、残念で悲しい。声を上げた人がクレーマーかのように扱われ、キャンセルカルチャーとして悪い印象が持たれている。日本語に翻訳されたこのニュースには、声を上げた人を非難する酷いコメントが並んでいた。

・実際そういう障害を持ってる方たちからそういう声が出てきたなら仕方ないが、そうじゃない人たちが過剰に騒ぐのはどうかと思う。
・現実と虚構を同一視して抗議すると、ありとあらゆる物語が作れなくなるよ。
・こんな事言ってたらキリ無いよね。クレーム全部聞き入れてたら無個性のキャラしか生まれなくなっちゃうよ。
・なぜそんな因縁つけるような事をしてくるのか?表現の自由の侵害。
・物語を物語として感じ取れないひどい話。ケチ付けるぐらいなら見なきゃいいだけじゃん。
・全ての批判に事細かに反応してたらなにも言えなくなっちゃう。
・なんにでも文句つけるのってどうなん?もちろん最初から悪意を持って誰かを傷つけようとしてそういう表現してるならダメだと思うけど、3本指だからなに?何がいけないの?
・こんなことでいちいち文句言ってたら何も表現できなくなる。ほんとこういう輩や団体は勘弁してほしい。
・都合の良い時だけ弱いものになり、恩恵は受けるとか都合良すぎてポリコレと同じ。
・最近本当にマイノリティがうざい。
・みんなの事情を優先的に配慮すると、とっても窮屈な世界が出来あがりました。
・何でもかんでも騒ぐネタにするなよ。
・もうそんなん言ったらキリないわ。

なぜ自分たちが好きなその作品を楽しむ権利が、他人の痛みより優先されて当たり前と考えている。何を以て、「行き過ぎ」「過剰」と判断するのだろう。自分たちの娯楽や文化が、他人の痛みや我慢の上に成り立ってきたという認識がないのだと思う。

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人々の痛みに配慮すれば、文化はなくなってしまうのだろうか。豚肉を食べない国、魚が手に入らない地域、それぞれにその食文化があるように、無ければ無いで生まれる文化もある。『ファインディング・ニモ』のように、逆に配慮していれば、生まれた文化があったかもしれない。古くは日本の伝統芸能、日本のテクノミュージックシーン・ヒップホップ・アニクラ、敷居を高くし、多様性を排除して同質だけでやってきた結果、今どうなっているか。東京のクラブが条例で禁煙になるときも、喫煙者の居場所がなくなる、迫害と言った声が上がった。これまでクラブに来れず排除されてきた人たちの気持ちを思いやる人はいなかった。自分たちが当たり前に優遇され、楽しむ権利を享受してきたという自覚がない。

Black Lives Matterで、よく「無自覚の特権」の話が出てきた。白人や男性は、自分たちがそもそも恵まれている、特権があるということに気が付かず、当たり前だと思っている。

何でもかんでも、あれもこれもというけれど、「あれ」と「これ」は別物。「お惣菜に髪の毛が入っていましたよ。」というAさんクレームと、「カビが生えていましたよ。」というBさんクレームは、各々尊重されるべきで、お店の人は「何でもかんでもクレーム言うな。」とキレたりしない。自分が愛好するものに対する抗議を一まとめにするのは、個々の痛みを理解していない証拠。表現の自由を盾に、マイノリティの苦しみは自分たちの楽しみに比べれば取るに足りないとして軽んじることは、声を上げた人を再度苦しめている。今、有色人種・少数民族・女性・障がい者、様々なところから声が上がっているのは、今までずっと、それだけ人々の我慢や痛みの上に文化が成り立ってきたということ。

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謝罪の中で、Anne Hathawayは、「他人を傷つけないことは私たちが全力で努力すべき基本的レベルの良識」と言っている。

日本のお笑いやテレビの罪は大きい。ブス・デブ・チビ・ハゲ・胸が小さい・体毛が濃い・足が短いといった身体的特徴や同性愛の"からかい"、そしてセクハラが、どれだけ娯楽として消費されてきたか。いじめにあったり、自虐という笑いに変えてサバイブしなければいけなかった人がいる。今まで人の足を踏んづけて楽しく踊ってきて、それが今一斉に怒られているだけ。窮屈だとか息苦しいというのは、自分の権利しか考えていないから。他人の足を踏んづけずに、楽しく踊る方法はいくらでもある。わざわざ、他人の足を踏む方法に、こだわらなければならない正当な理由があるかどうか。

多様性への理解がこれだけ不十分な状況で、よくオリンピックやパラリンピックを開催しようとしていたと思う。

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