パラグアイとブラジル 地元のクラブミュージックシーン 植民地化されたメンタリティー

Resident Advisorの特集記事が、また良かったので和訳。パンデミックを期に、もっとローカルの才能にフォーカスしようよという話や、メディア批判など。

シーンからの視点:Amanda Mussi
RA: Perspectives From The Scene: Amanda Mussi

ブラジル人でパラグアイ人のDJで、プロデューサーとエージェントでもある彼女が、パンデミックによってもたらされた挑戦と機会のみならず、ラテンアメリカのシーンを一つにするための取り組みについても話します。

私はブラジル人でパラグアイ人でもあります。DJ兼プロデューサーで、以前はプロモーターでした。南米のアーティストを代理をするAltという小さなブッキングエージェンシーを所有しています。既に20年、プロとしては8年ほど、このシーンにいます。ここブラジルで、3つのパーティのレジデントを務めています。私は、サンパウロのMamba NegraとDando、エージェンシーでの私のパートナーであるAnandaが経営しているリオデジャネイロのKodeでDJをします。私は、サンパウロを拠点に、毎年アメリカやヨーロッパをツアーしています。

サンパウロのMamba Negraにて、Amanda MussiさんのDJプレイ

最近では、ライブストリームであっても、経済的に有料の仕事はほとんどありません。私は、我々の職業の未来が不安で、主に金銭面で非常にストレスを感じていました。しかも、長期間家に閉じ込められていました!ネガティブとポジティブの両面において変革体験でした。感情はジェットコースターでしたが、葛藤を伴うも、ずっと前向きでした。自分の限界、作り出すプロセス、家族と自分、猫と自分の関係がよりわかるようになりました。今、私はゆるやかな気持ちで、ルーチンにも慣れ、辛さも少しは和らぎました。

いつか月に2回プレイするだけで、家にいてもっと音楽を制作するだけの十分なお金を稼げるようになりたいと、ずっと願っていました。私は自分の音楽に集中するのに十分な時間がないと、いつも不満を言っていました。ですから、パンデミックの間、多くの曲を作るのに時間を費やしました。私は、最近、ダンスミュージックにますますエネルギーを感じています。多くの人が、パンデミックにより、音楽の作り方や作る音楽のスタイルが変わるだろうと言いました。しかし、私はポストパンデミックがあると信じています。私たちはこれで永遠に行き詰まることはありません。

最初、ダンスミュージックを作る意味はもうないと思っていました。「ただアンビエントを作ろう!」思いましたが、その後、曲とデモをストックし、これが終わったらたくさんの新しい素材を手に入れるべきだと思いました。ダンスミュージックが作れないからといって、落ち込んでいません。サウンドシステムでテストできない曲が出てきましたが、これが終わったらもっとクリエイティブで自分を誇れるように自分の鼓舞するだけです。

パラグアイのクラブミュージックシーン

私の仕事のもう1つの部分は、パンデミックの最中も続けて南米の才能を結集することです。私は、特に、パラグアイのシーンでよく仕事をしています。音楽と制作のメンターがそこ(パラグアイ)にいて、14歳になるまで住んでいました。休暇など、できる限り帰省し続けていました。DJ・プロデューサー・クラブとレーベルのオーナーであるいとこが、Asunciónにいます。私たちは一緒にたくさんのビジネスをします。私は継続的に人々の視野を広げるために取り組んでいます。

パラグアイには健全なシーンがありますが、それを知っている人はほとんどいません。初期から私に最も影響を与えたのは、Cosmo Lopez・Octavio・P. Lopezの3人から成るトリオ、LPZでした。彼らがスタジオを始めたのは私が15歳の頃で、約10年前からLPZプロジェクトを始めたことになります。彼らは、そこでダンスミュージックシーンを形作った先駆者です。その前は、ほとんどが商業的なものでした。パラグアイには、非常に特殊なテクノがあり、グルーヴィーで躍動感があり、とてもエネルギッシュです。彼らの音楽から、確実に南米のバイブスを感じることができます。そして、そこの人々はLPZをただ愛していて、彼らの影響を受けた全く新しい世代の素晴らしいアーティストたちがいます。

パラグアイのシーンの一部を担い、LPZと複数のプロジェクトで仕事をしている、私のいとこVictoria Mussiもいます。私たちは従妹ですが、インターネットを通して会ったのは、わずか5年前です。SoundCloudが彼女のページを薦めました。「ワォ、Mussiは一般的な姓ではありません。」という感じでした。そこには女性のDJがほとんどいなかったので、「なんてこと?ダンスミュージックをプレイしている女の子がいて、私と同じ苗字で、私と友達と一緒にラインナップされているのに、私に教えてくれなかったの?おかしいわ。」という感じで。彼女は私をFacebookに追加し、私の父は誰であるかを尋ねました。彼女は言いました。「私は先週あなたのお父さんと一緒でBBQをしました。彼は娘が音楽(業界)で働いていると言いましたが、あなたがDJだとは決して言いませんでした!」

安っぽいテックハウスパーティーアンダーグラウンドパーティー・クラブなど、このシーンは現在、パラグアイ内で競合するのに十分な大きさです。これらは、長年かけて2つのメインのテクノクラブを発展させ、現在はホテルの地下のTangoという3つ目の箱にあります。そこでは、国際的なアーティストが定期的にプレイしています。しかし、そこに到達するには長い時間がかかりました。

南米におけるパラグアイ

パラグアイは小さく、多くの国から無視されています。ブラジルは大き過ぎて、他の南米に対し、少し傲慢な姿勢であると感じています。他の国からより切り離されていると常に感じていました。それは植民地化されたメンタリティーの一部です。しかし、パラグアイも、特にコピー商品・武器・麻薬が変えるブラジルとの国境においては、密輸や麻薬取引のために評判が悪いです。このためパラグアイは非難され、国境から7時間くらいにあるパラグアイの首都Asunción以外は無視されています。ここブラジルでは、パラグアイ人ハーフであることで外国人嫌いを感じ、パラグアイ人は他の南アメリカ国籍の人々ほど尊重されていないように感じていました。

今、状況は少し異なります。パラグアイ人は少し目立ちます。パラグアイ人にもっとスポットライトを当てるために最善を尽くしています。私はパラグアイとブラジルの出身なので、国同士手を取り合う必要性を理解しています。ビジネスのやり方について、北半球、アメリカ人とヨーロッパ人だけを見上げ、多くのお金とエネルギーを浪費しているように感じます。私たちはまだこの植民地化されたメンタリティーと行動を繰り返していて、同様に開拓国(植民地化する側の国)もそれを続けています。植民地主義のための新しい(植民地化する方とされる方の)橋渡しにしかすぎません。

ラテンの我々の間でも、場所や認知度はそれほどありません。例えば、ヨーロッパでは、誰もが大陸をツアーし、飛行機代は安いです。行って訪問する多くの場所があります。一方、ここには、絶えずお互いの国をブッキングするというような習慣はなく、飛行機代も安くありません。少しは良くなってきていますが、まだ長い道のりの半ばです。チケットが売れる有名人のための予算しかないので、通常、とても低い予算でブッキングされます。

地元の才能にフォーカスするための団結

ですから、私は問い始めました:ここに素晴らしい才能がたくさんあるのに、なぜ有名人だけのチケットを売るのですか?ここでは、シーンやアーティストとしての教育活動が欠けています。私たちはお互いにもっと注意を払い、ここにあるものを評価し尊重しなければなりません。どうすればこれらの繋がりを広げ、仕事の収益性を高め、まともな金額を稼ぎ、お互いの国で知名度を上げることができるでしょうか?有名人に頼るか、知名度の低さを受け入れている地元のアーティストに頼るかだけではない、彼らにふさわしい持続可能なシーンがここに必要です。ブラジルは、はっきりと、この繋がりをもっと意識する必要があります。言語の違いなのか、それともブラジルの文化の中心が国境の近くにないのかはわかりませんが、社会的そして歴史的に、繋がりがない理由がいくつかあります。

私がラテンアメリカのアーティストをブッキングしようと始めたとき、誰も返事をくれませんでした。一旦、DJとしてより有名になると、私の話を聞き始めました。それで私は自分のパーティーで、ラテンのアーティストをブッキングし始め、彼らがウェブサイト、ラインナップ、あらゆるものに取り上げられるように支援しました。私は南米の他の国々とたくさん話し、私のように考える人々ともっと団結しようと努めてきました。私たちはお互いの国のパーティーやフェスティバルで、互いにブッキングし、お互いをもっとよく知ろうとし始めました。ネットワークが形成されているのを感じたので、ブッキングやプレスでの特集に影響力のある人々と、できるだけ話すべきだと考えました。ここで何が起こっているかを話すと、間違いなく耳を傾けてくれます。そして、それは私が複数の国のために話すことができるからだと思います。これはその教育の一部で、できるだけ多くの扉を開きます。

メディアの質

プレスに関して言えば、私たちの地域では、質の高い音楽ジャーナリズムが不足していると思います。ブラジルにはいくつかのウェブサイトがあります。いくつかは新しく、より多岐にわたります。編集者が知り合いなら、たまに新聞に何か載り、スタッフの誰かか私たちのパーティが、どういう訳か再び"トレンディ"になります。しかし、ここにあるメディアプラットフォームに、ずっと長く生き残るための強みやリソースがあるとは思えません。メディアビジネスは下り坂でした。Viceはもうローカルコンテンツを作成しなくなりましたが、THUMPがありました。ポッドキャストとプラットフォームがいくつか知っていますが、エレクトロニックミュージックのみにフォーカスし、バックにリソースのあるより強いストラクチャーの上にある、より大きく幅広いネットワークが必要です。

投資不足が最大の問題です。時々、インターンがどう頑張っても受け入れられない質問を送ってくるような、とてもひどいインタビューに耐えなければいけないこともあります。以前は、もっとましでした。特に2000年代初頭には、まともなポータルとフォーラムがありました。そして今、もはや雑誌は全くなくなり、最も有名なウェブサイトは有料コンテンツを多く載せているため、同じ古いメインストリームシーンで、全て維持されています。

パンデミック後の"日常"

パンデミック後も、私たちはより地元で仕事をしなければならなくなると思います。パンデミックの間、あらゆるこれらのライブストリームで、非常に多くのブラジルの他の都市の新進アーティストを知り、サンパウロに簡単には来られなかった人々の作品を見ることができました。新しい才能のためにより多くの場所があると私は考えます。そして、私たちは、もっとローカルにフォーカスするでしょう。しかし、閉鎖しなければならなかった箱とプロモーターの経済的損失を考慮すると、減らした形で、物事はゆっくりと"日常"へと戻ります。

ブラジルには、深刻な経済問題があります。それが、最悪の部分です。誰もが小さな一歩を踏み出す必要があります。群衆の一部に費やすお金やプロモーターの一部に投資するお金はないでしょう。確かに地元の才能により注意を払う義務があり、おそらくそれによりイベントを開催するのに有名人に依存する気がなくなるでしょう。

和訳は以上。

Resident Advisorは、メディアやシーンの批判も含むよくこの内容を載せたなと思う。ローカルのシーンや、カルチャーと呼べるものを載せているのは、RAくらいじゃないかな。他のRAの特集記事もいくつか和訳していますので、よろしければどうぞ。

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