J-WAVE TOKYO NIGHT PARK 水野良樹 長谷川白紙 (後編)

J-WAVE TOKYO NIGHT PARK 水野良樹(いきものがかり)
7月24日(金) 25:00-25:30
TOKYO NIGHT PARK PRODUCED BY HIROBA : J-WAVE 81.3 FM

白紙さんのインタビューの中で、一番面白かった。水野氏の質問の観点、話の引き出し方がさすがプロ。そして、大人で、めちゃくちゃ優しい。一言一言書き起こしたい欲に駆られたが、ボリュームがあったので要点のみ。

オリジナル曲とカバーの制作プロセスの違い

カバーの場合は、まず最初に曲を読み込む
歌詞の表現、パーソナリティー、どういうイデアや思想をもって完成に至ったのかまで突き詰めて考える
この曲をこの曲たらしめている非常に重要な要素が何なのか
その要素を取り込むと新しい自分ができる、それが音楽をやる根本的な理由
自分のとれる形態が増えていくことが生きている上での一番の欲求

長谷川白紙の由来

悩んで決めた訳ではないし、気に入ってもないし、後悔している
チャットルームが流行っていた時代に、1日1回くらい名前を変えていた
その流れで、これはちょっと良いかもと思ったのが「長谷川白紙」だっただけ
改名してもいいが、またすぐに改名したくなる

アップデートを続ける

水野:(長谷川白紙の改名について)プログラムを何度も書き換えていくようなイメージが。僕らの世代は、ちょっと古い世代なので、例えばテレビゲームを買っても、そのテレビゲームがアップデートされることがないんですよね。カセット。一回買ったら、それが最終形態というか。それをクリアするかどうかなんですけど。今そんなことなくて、ほぼ数日ごとにアップデートが繰り返されていき、バグが修正され、もしくは新たな展開がみたいな。世の中の動きがみんなそうで、1つを最終形態としてそれで何とか凌いでいくというよりは、アップデートを繰り返していくみたいな。長谷川さんのやられていることは、すごく現代っぽいなと思ったりしました。

水野:僕が音楽を始めた思春期の頃はですね、シンガーソングライターの方がすごく多くて、アイデンティティのことを歌う歌が多かったんですね。自分はこうだ、自分はこうなりたいとか、「ありのままの自分で」みたいな言葉がよく使われて、自分という存在が既にあるものとして、目指すものとして、設定されている曲が多かったんですけど。ただ、若い世代、僕らより下の世代の人たちは、そういうことには、僕らのようには葛藤はしていなくて、もっと他者というか、自分に取り込むような方が多いのかな。だから、コラボレーションだったり、リミックスだったり、コライトだったり、一つの作品を多くの人と作り出すとか、結合することに全然躊躇がないというか、それがすごく眩しく思えます。
勝手に自我のことばっか悩んでる、ある種青臭いというか、ところにいることが多かったので、そこに対する反発心が僕はあったんですけど。

音楽を作っていて、どこに一番快感を感じるか?

新しいモチーフや構造を思いついたとき、それが上手く結合したとき
ライブで自分が思っている以上のパフォーマンスができたとき

歌詞はどうやって書いているか?

音楽と共にある言葉として理想なのは、何か置き換える対象がないこと
環境に自分を置いたときに、そこから表出せざるを得ない言葉が自分の中で大事
何かを観察してそれを言い表す、こういう気持ちがあってそれを言い表すではなく、よりもっと自分が巻き込まれている状態で書いている言葉が1つの理想形
どこも切り取りたくない、環境そのままを提示できるのが、一番理想
観察と記述的な作詞は、自分の音楽には見合わない

ポップさとは?

ポップスは、基準や評価の軸を内包している
ABCのようなJ-POPとしての典型的な構造や、ポップスからメロディの借用や引用してくると、音楽理論的に耳なじみのいいものができる
自分で歌うことでポップスの形式を無理やり成立させている
特別な説明や知識を理解していないとその作品を楽しめない状況が起こらないのがポップス
グレゴリオ聖歌やジャズがポップスだった時代もある
基準を全く内包しない音楽はハイコンテクストに聴こえる
自分の音楽がポップとして受け入れられているのは、基準があった上で外しているから、基準を全くない状態にはしない
軸は、個人の音楽的リテラシーによる
その基準を大衆と仮定するのであれば、その基準がどこにあるのかを探る作業はとても楽しいし知的
絶対的なポップスの基準を導入するのは難しいというか矛盾した概念になってしまう
ポップスが何かというのを精査していくのは、興奮したり惹きつけられるようなとても楽しい作業
作品が、興奮する作業の一連、ポップスが何かを探るような作品になっている

以上、番組でのインタビュー内容の抜粋。
前編と合わせ、白紙さんの音楽に対してよくわからなくて、もやもやしていたことが解消した。

 崎山蒼志さんのモノマネかと思ったよね。『綿の中』『肌色の川』『横顔 S』の時に、既に誰かを取り込んでいたのかもしれない。けれど、私には、長谷川白紙さんがツイキャスとかで話しているときのような日常の声が、上手く生かされているように感じていた。『草木萌動』はギリ、それ以降は私には全くポップとして聴こえない。Billie Eilish自身が自分の音楽を、どこがポップなのかと言っているのと同じくらい。

 そう、私もヤコーさんと同じように思ってしまうのよね。自分にはない要素を新たに取り込んでいくことが喜びであり目的であるとは思いもよらなかった。自分にはない考えだから。私個人は、超絶技巧のようなものにも惹かれるが、どちらかというと、多少下手でも唯一無二の独自性に魅力を感じるということを、また改めて認識した。

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