BewhY (비와이) - 가라사대 (GOTTASADAE) 敬虔なクリスチャンか反逆児か

韓国のラッパーBewhYは、ラップバトル番組で勝ち上がった実力派。高速ラップなど高いラップ技術を持つ。敬虔なクリスチャンであり、違法薬物はもちろん、酒もタバコもやらない。20歳のとき教会で一目ぼれした女性と8年間交際し、今年10月に結婚。兵役を果たすため、来年軍隊に入隊予定。

「私は酒もタバコもやらないし、ヒップホップはディスだと思われるのは残念」
‘컬투쇼’ 비와이 “술·담배도 안 해, 힙합은 디스라는 오해 안타까워”

クラシックな管弦楽や合唱を取り入れた楽曲で、クラシック音楽ファンをも魅了。多くの作品は、彼自身が作詞作曲、プロデュースもしている。彼の作品は、聖書の引用や宗教的なリリックで、映像を含め非常にコンセプチュアル。

 BewhY (비와이) - 가라사대 (GOTTASADAE)

歌詞

BewhY 曰く
いい加減なことをするな
俺を見上げるようになる
俺は歴史として生きる
俺は証人として生きる
俺はこの場所を輝くようになる
俺はこの場所を丸ごと受け入れる
新旧の基準は俺になるだろう
そういう俺になる

BewhY 曰く
指導者は俺に従うようになる
俺は先駆けになる
金は俺についてくるようになる
俺は自分の名前の時代を作る
ハングルは知られるようになる
グラスは満たされ
俺はなりたい自分になる
私はそうなる

BewhY 曰く
曰く、単に間違っているように見えて
曰く、万物の上にいる
曰く、エホバの下にいる
曰く、ここが俺の場所
曰く、昨日の俺が今となる
曰く、俺は伝説となる
曰く、俺は報われる

BewhY 曰く
俺の人生をラップする
歴史は刻まれ
偽物がコピーされ
本物は自分が最高で一番だと言う
俺の日々、毎日毎日、へそがついている
日々、毎日、笑っている
飢えるときでさえ、自分を作り新しいものを創造する
継続し、恵みを得る
俺はラップで自分を変え満足させている、ラッパー共は黙れ
今の辛さは、昨日耐えがたかったものとなる
(昨日あれだけ我慢できないほど辛かったことを、今現在も感じている。つまり、それが続いているという意味)
正に俺が今までそうだったように

俺が中心になる
俺は神の姿になる
この世は俺の手の中に
栄光の冠は俺に
俺が基準を示す
俺が未来を啓示する
偽物は後悔して生きるだろう
俺がその上で生きる

それは俺になるだろう
BewhY 曰く

切り裂くような管楽器の鋭い音の使い方が斬新で、荘厳な男性コーラスが彼のカリスマ性を演出している。得意の高速ラップも披露。
MVの最初に聖書の言葉が表示される。

f:id:senotic:20201225193712j:plainFor the kingdom of god is not a matter of talk but of power
神の国は言葉にはなく力にある』(コリント4章20節)

神の国は言葉ではなく力にあるのです。コリントの人々は、人の知恵と言葉を誇っていたためにこのような問題を起こしたのです。
 私たちの力の源は私たちの内にはないという事をしりましょう。力は主の十字架による救いを信じ、喜ぶ事にこそあるのです。

『神の国は言葉にはなく力にある』(1コリント4章14節〜21節)

まるで、その教えに反抗するかのように、言葉を慎まず声を上げ、自分が神だと言っている。映像の舞台は、厩舎。キリストが生まれた場所だ。一体どういうことだろうと思い、熱心なファンの解釈を聴いてみた。やはり頼るべきは、批評家より熱心で冷静なファンの知識。

解説

[국힙뮤비해석] 나는 되고 싶은 내가 될 지어다 ㅣ 비와이 "가라사대" 뮤비 해석! l BEWHY "Gottasadae" EXPLANATION

この作品は、アルバム『The Movie Star』の収録曲。Bewhyは、このアルバムを作る中で、自分らしく生きることについて深く自問した。アルバムは、その答え。BewhYのアーティストとしてのアイデンティティの探求が、このアルバムのテーマ。
この曲『가라사대 (GOTTASADAE)』は、12曲のアルバムの中の11番目の曲なので、物語の結論の一部と考えられる。BewhYは「宣言の曲」だと述べている。8曲目『CHALLAN』は、実現に向け熟考しまだ途中の段階。『CHALLAN』のMVに出てくる掃除用ゴミ箱が、『가라사대 (GOTTASADAE)』のMVにも出てきて、物語が繋がる。
コリント人への手紙は、使徒パウロがコリントの教会へ送った手紙。当時、コリントス地方は貿易で栄えていたが、道徳的に腐敗し、派閥争いのために分裂していた。パウロは教会へ助言の手紙を送った。4章20節は、その助言の1つ。愚かな言葉や知識は、信仰において重要ではないという内容。この曲は、自然と本質の重要性について表現していると考えられる。
このMVには、顔まで黒い衣装で覆われた黒い人と、上半身服をまとわない白い人、そしてBewhY本人が出てくる。黒い人は、顔が見えず、皆同じで区別できない。白い人は、服とまとわないが、競走馬のブリンカー(遮眼革)を付けている。

BewhY 曰く
いい加減なことをするな
俺を見上げるようになる
俺は歴史として生きる
俺は証人として生きる
俺はこの場所を輝くようになる
俺はこの場所を丸ごと受け入れる
新旧の基準は俺になるだろう
そういう俺になる

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前半のシーンでは、BewhYは口輪をしている。厩舎に閉じ込められ、監視されている。彼が、自由に作曲できなかった時代を表現している。監視は、一般の人々の基準もしくは彼自身の基準に照らしあわされ、不自由だった過去を表現しているのかもしれない。その後、馬小屋から出て、自由にラップを始める。白い人たちは、馬小屋に閉じ込められたままである。(競走馬に見立てられた)白い人たちは、装着されたブリンカー(遮眼革)によって視野が狭められている。彼らは、だた前に走り続けるしかない。彼らは、走る理由がわかっていない。勝つことが目的で、主体性がない。ヒップホップ業界で言うと、独自の音楽をやらず、ただアメリカのトレンドを追いかけているだけのラッパーたち。

BewhY 曰く
指導者は俺に従うようになる
俺は先駆けになる
金は俺についてくるようになる
俺は自分の名前の時代を作る
ハングルは知られるようになる
グラスは満たされ
俺はなりたい自分になる
私はそうなる

BewhYがトレンドとなり、それを追いかける白い人は苦労している。白い人は、盲目的。BewhYが黒い人に囲まれている。黒い人は、皆同じで区別ができない。白い人が無条件にトレンドを追う人々なら、黒い人は、流行っている曲を真似てお金を稼ぐ人たち。白い人々も黒い人々も、主体性がないという点では同じである。

BewhY 曰く
曰く、単に間違っているように見えて
曰く、万物の上にいる
曰く、エホバの下にいる
曰く、ここが俺の場所
曰く、昨日の俺が今となる
曰く、俺は伝説となる
曰く、俺は報われる

フックは、BewhYのゴールだと受け取れる。万物の上に立ち、全てのラッパーの頂点に立つと同時に、神の下にある。彼の通った道は伝説となり、報われる未来。これは、彼の方向性と決意に関する宣言である。BewhYは祈るようなしぐさでラップしており、彼の心から望んでいることがうかがえる。白い人たちは、厩舎から出てきている。彼らは、本当は厩舎から出たかったという点が重要。喜びを表すかのように勇ましく踊っているが、その後のシーンでは、また厩舎に戻りたがっている。彼らの揺れ動く気持ちを表していて、白い人たちは、自分の目標が定まっていない。

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[Verse 2]

BewhY 曰く
俺の人生をラップする
歴史は刻まれ
偽物がコピーされ
本物は自分が最高で一番だと言う
俺の日々、毎日毎日、へそがついている
日々、毎日、笑っている
飢えるときでさえ、自分を作り新しいものを創造する
継続し、恵みを得る
俺はラップで自分を変え満足させている、ラッパー共は黙れ
今の辛さは、昨日耐えがたかったものとなる
(昨日あれだけ我慢できないほど辛かったことを、今現在も感じている。つまり、それが続いているという意味)
正に俺が今までそうだったように

Verse 2は、本物と偽物についてのリリック。偽物はコピーをする。つまり、白い人々や黒い人々のように主体性のない人々は偽物。BewhYは本物であり、音楽的に新しい挑戦をしている。リリックにあるへそは生命のルーツを表している。へそと創造により、新しい音楽を作ると宣言している。『CHALLAN』のMVに出てくる掃除用ゴミ箱が、ここで登場する。前のMVで、グッチや宝石を捨てたこのゴミ箱。捨てられたのは、世間では価値があるとされている物の代表格。BewhYはお金が自分を追いかけてくると、前のパートでラップしている。彼がお金を追うのではない。このゴミ箱が、黒い人たちとBewhYを分けている。つまり、黒い人たちとBewhYの差は、これだと。

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俺が中心になる
俺は神の姿になる
この世は俺の手の中に
栄光の冠は俺に
俺が基準を示す
俺が未来を啓示する
偽物は後悔して生きるだろう
俺がその上で生きる

BewhYが自分についてくる価値があると信じている。彼は、神の姿に近づこうとする自分の理想を追い求めている。コリント4章20節の解説の通り、力は神のようにあろうと努力することから生じる。栄光は、偽物ではなく本物にだけ許される。

以上が、熱心なファンによる解釈。
ファンというのは、本当に大事だと思った。いくら深く考え、綿密で高度な作品を作り上げても、ファンがその価値を理解できなければ意味がない。理解してくれるファンがいてこそ、成り立つ。価値のわかるファンに対して、いい加減な作品は作れない。作品やアーティストを高めるよい循環ができる。日本の盲目的なファンやお布施額で忠誠心を競わせるようなビジネスは、音楽やアーティストをダメにしていると思う。
こういうあらゆる場所にメッセージが埋め込まれた作品は、海外ウケする。作品を鑑賞して、自分で考えて、調べて、解説を聴いて納得する。新たに知識や概念を吸収する気持ちよさ。満足感が高い。

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