芸術を理解するのに知識は必要か

芸術は直感で鑑賞するものではないとか、理解できないことを恥じるべきというツイートを見てびっくりした。社領エミ氏の「落書きのような油彩画が210億円!? 高額アートのカラクリを専門家に聞いてみた」に対する一部の人の反応。前からずっと思っていたこともあったので、自分の考えを書き出してみることにした。


知識がなくとも芸術の価値はわかると思っている。それは自分の経験から。


芸術という言葉に音楽も舞踊もインスタレーションも含んでいるのだけど、まずは絵画の体験。レンブラントの『夜警』は世界三大名画だそうで、様々な国の人々が見に来る。私はアムステルダムに滞在していた5日間、毎日この絵を見に行った。そこで『夜警』を見た人の表情もたくさん目にした。『夜警』を目にした瞬間、目を見開き輝かせ、吸い寄せられるように絵に近づいて行き、感嘆を漏らす。そういう人をたくさん見た。国籍や性別年齢に関係なく、絵画なんて全く興味がないのにツアーで連れてこられたようなおっちゃんも。「これはなんという画家が描いた絵なの?」と聞いている人も少なくない。絵が大きいというのもあるかもしれないが、ただ大きいだけではそんなには感動しない。

大学を卒業するまで、美術展に行くことはなかった。絵を見に行って何が楽しいのかわからなかった。転機になったのは、オーストリア旅行。観光名所の一つとしてウィーンで美術史美術館を訪れたとき、広くもない場所に地味に飾ってある絵がなんだか気になった。ラファエロの『草原の聖母』だった。特別扱いせず普通に飾ってあることも驚きだったけど、知識がなくても名画には人を惹きつけるだけの力があるのかなと、最初に実感したのがこのとき。その後、シェーンブルン宮殿で見たのが、クリムトの『接吻』。クリムトの描く女性って、いやらしくて気持ち悪いと思っていた。目の前に現れた『接吻』の実物は、清らかで愛があふれていた。心を許した人にしか見せない穏やかで幸せな表情、女性を心から愛さないと描けない気がした。(後になって、ラファエロクリムトも、女好きだったということを知るんだけど。)ウィーン、ザルツブルグにはたくさん美術館があって、高級料理の味を覚えたばかりの人のように、数々の名画を貪り鑑賞した。

旅の目的は芸術になった。西ヨーロッパ中心に約30都市、1都市5から15くらいの美術館博物館を回った。少なめに見積もっても、美術工芸品を1万点以上は見てきたと思う。美術館の規模に応じて1日とか半日、ルーブルだと2日間かけて一人でゆっくり眺める。(もちろんそれでも足りないが。)絵画は近づいたり離れたりして、一番心地よい距離を探す。初めて会った人とのように、絵画と会話する。彫刻は360度、上方下方から見る角度でも表情が変わるので、舐め回すようにグルグルと回って眺める。誰に教わったのでもないが、好きな音楽を聴くのと同じ感覚で、心がそれを求めた。絵画の世界に没頭したいので、閑散期を選ぶ。何十畳もある部屋に一人ということも多い。人だかりもできていないので、どれが傑作か有名かもわからないのだけど、ラファエロの『草原の聖母』と出会ったときのように、傑作と呼ばれる絵画や彫刻は、なんとなく歩いて眺めているだけでも、気になったり引き寄せられることが多かった。黄金比は知らなくてもミロのビーナスは美しいし、伊藤若冲の裏地彩色の技法は知らなくとも気品ある黄金色に惹かれる。自分の体験、隣で鑑賞していた様々な国籍・年齢・宗教思想の人たちの反応から、知識はなくとも芸術の価値はわかると確信した。

前衛的な芸術など美を追求したものではない作品は、少し見方を変えなければいけないのかもしれない。ただ、私の概念が間違っているかもしれないが、作家は文章で表現し、音楽家は音楽で表現し、芸術家は作品で表現する人だと思っている。レアンドロ・エルリッヒ展で作品鑑賞後に彼のインタビューを見たが、彼が意図していたことは全て作品を通して伝わっていた。音楽や絵画は、ときに年齢や言語・宗教思想を簡単に超え、伝わるところが凄いと思う。知識を必要とする芸術があるのかもしれないが、作品の価値が理解されないのは、その作品自体にそれだけの力が及ばないからではないだろうか。その一方で、知識があれば作品の感じ方が変わるというのも理解できる。私は音楽についても知識はないが、コンガやハイハットの音を覚えたときは、それがやたらはっきりと聞こえるようになったし、音や理論を知れば音楽の聴き方が全く変わってくることも理解できる。でもそれはバイアスにも成り得るんじゃないだろうか。理論を全く知らない人と、すごく詳しい人、どちらの聴き方がどうとも言い切れない気がする。

抽象画の良さがわからなくて、美大生の人に聞いたことがある。「例えば、丸が三つ並んでいる。それを1つずつ順に目で追う。その時に何か感じる。それでいい。」と答えてくれた。「何だ、それでいいんだ。」と肩の力が抜けた。自由に感じていいんだと思って心を開いて鑑賞したら、すごく楽しくなった。芸術家のための芸術、音楽家のための音楽を創るなら別だが、そうでないなら鑑賞者のほとんどが非芸術家だ。医者だって医学の素人の患者にわかるように説明しようとするし、科学者だって研究予算とるため文系の人にわかるように説明を試みる。自分の才能に誇りを持つことは大事だと思うけど、素人はバカ舌だと思っている料理人は、ガチで料理しても大しておいしくない気がする。素人の芸術の鑑賞の仕方を批判している暇があったら、是非わかるように説明をお願いしたい。私はめちゃくちゃ知りたいんだ。私が感動した作品の芸術家の人たちは、忙しくてそれどころではないようだが。

 

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